いくさ物語の世界――中世軍記文学を読む 日下力 岩波新書1138

 「平家物語」に代表される日本の軍記物作品。中でも「平家物語」に加えて「保元物語」「平治物語」「承久記」の(成立年代が非常に近いとされる)4作品に注目して、これらの作品が描き受け手に伝えようとしてきたものが分析されている。
 歴史研究とは違って、古くてより史実を反映していると考えられるバージョンが重視されるとは限らず、多くの口に語られて変化した流布本の内容から軍記物語に関わった人間の考えが読み取られていて興味深い。変化した時期が細かく分かれば、その変化の積分が時代を表すとか、どうでも良い部分の浮動変化の蓄積から時期を計算できないかとか、変なことまで考えてしまった。遺伝子じゃないんだから無理かな。

 日本の軍記物語とヨーロッパの叙事詩が比較されていることも興味深かった。仏教・神道とギリシャ神話・キリスト教の違いも背景にあるのだろうか。後者をセットにするのも無理があるが。

 戦争には無数の死別が待っていて、夫婦・親子・兄弟・主人と従者などの関係が強く問われる。一緒に死のうと約束していたのに果たせない組み合わせもあれば、しっかり果たして名を遺すがそれも虚しいと言われる組み合わせもある。
 重盛と宗盛、宗盛と知盛はよくよく対比に使われている。一方で頼朝と義経あるいは範頼の源家の兄弟が本書で話題になるほどに比べられない(義経と範頼は天才と凡人で比べられていそうだが)のは物語中に死に際がないせいか、源氏への遠慮からか。
 承久の乱以降の成立なら実力者は北条氏でそれほど遠慮する必要もなさそう――実際に保元物語や平治物語では題材にされているわけで、実際どうなのかなと思った。為朝は玩具フリー素材にされすぎ!

カテゴリ:文学 | 12:27 | comments(0) | -

三省堂国語辞典から消えたことば辞典 見坊行徳・三省堂編修

 言葉の変化に敏感に反応し、見出しの変更が非常に多いことに特色がある三省堂国語辞典から消えていった歴代のことばが収録された辞典。表紙・裏表紙で見出しに使われるオレンジの札が木簡を思わせる。これを一葉二葉と数えるから言葉か。

 消えていった言葉から時代の変化がダイレクトに感じられて懐かしくなる。消えたからと言って完全に使われなくなったとは限らず、たとえば「ロストル」は仕事で使った記憶がある。
 しかし、本書で初めて知った言葉もたくさんあった。ニュートラとか。

 挿絵がすばらしく分かりやすくて、すっきりとした可愛さもある。コギャルも素晴らしいが、バスガールなど昭和の髪型をした女性を魅力的に描いている(男性の絵も上手い)。せっかくなら、おすべらかしもイラストで説明してくれれば助かったんだけどな――現代でも皇后が儀式の時にする髪型だから連想しやすいと思った?

 三十面下げるからの四十面下げる、五十面下げるで同じ人物の顔が老化していく様子を示したイラストは衝撃的だった。けっこうダメージがあった――最近だとアンチエイジングが進んで、この通りに老化しない人も増えてきている?

 性俗語を狙い撃ち的に縮小する編集方針は少し残念に感じた。でもまぁ、自分も縮小やむなしに思える差別的な表現と近いところにあるのかな。
 見坊豪紀氏がワードハンティングで毎日ひたすら集め続けたという145万の見坊カードはインターネットのなかった時代には特に貴重な文化的財産だろう。電子化して分析できないかと思ってしまったりする。

カテゴリ:文学 | 12:44 | comments(0) | -

言語の本質〜ことばはどう生まれ、進化したか 今井むつみ・秋田喜美

 中公新書2756
 子供のときは誰でもこんなに素晴らしい言語の学習能力をもっていたのに、大人になると学習能力が衰えてしまうように見えるのは何故なのか……ホモ・サピエンスはネオテニーというし、これでも学習能力を維持している方なのかもしれない。他の動物と比較した結果を知りたいかも――実験に使われたチンパンジーは大人になっても学習能力があるのは明らかだったな。
 高度な推論を行える「クロエ」が猿の惑星にとってのイブになることを妄想してしまった。彼女の系統を選抜して伸ばしていったら言語を使えるチンパンジーが誕生しないかなぁ。知性化だ。
 一方でアブダクション推論ができるせいでホモ・サピエンスは陰謀論にハマってしまうのではないかとも感じた。問題は間違いを改善していく「ブートストラッピング・サイクル」が陰謀論者の中では機能不全になってしまっていることか。

 最初は記号接地問題やオノマトペから始まって、いつの間にか言語の本質に迫る内容になっていた。オノマトペが子供にとって言語の入り口になることが面白く、言語を学んでいく途上にある子供が多くのことを教えてくれることも分かる。
 いろいろな例が引かれていることで「ゆる言語学ラジオ」という面白いメディアの存在を知った。

 日本語以外にも多くの言語が例に挙げられていて、オノマトペが表現できる幅にも違いがあることが興味深かった。
 言語は必ず変化するし、それを防ぐことはできないと最後にまとめられているが、相当の努力で変化を拒んでいるアイスランド語みたいな存在はイレギュラーなのかな。まぁ、組織的に強い働きかけがなければ必ず変化するってことかな。

関連書評
小さい言語学者の冒険〜子どもに学ぶことばの秘密 広瀬友紀

カテゴリ:文学 | 09:50 | comments(0) | -

知識ゼロからの 古文書を読む 古賀弘幸

 変体仮名はその数300種類!これらのうちメジャーなものを把握しないことには古文書に親しむことは難しい。一字が一音に一致していない状態で長くやってきた日本語の歴史も興味深い本だった。万葉仮名からひらがな・カタカナが生まれた経緯を考えれば分からないでもないのだが、律令制国家の体制が生きているうちにそこを固められなかったのが明治時代まで響いているというか、律令制にとっては仮名そのものがイレギュラーな存在か……。変体仮名はまだしもくずし字は活字との相性が悪いから、明治政府として整理する方向にしたかったのも分かる。
 書道漫画の「とめはねっ!」を読んでいたおかげで変体仮名の存在は知っていたことが本書を読む上で役に立った。やはり「とめはねっ!」は学校図書館に置くべき。
 中国では楷書が一般的になっていた漢代に日本へ漢字が伝わってきたのに、日本では江戸時代まで行書・草書が一般的だったことが不思議だ。やはり弥生時代に先行して伝わってきた漢字があったんじゃないかと妄想をたくましくしてしまう。

 古文書を学んでいくテキストに看板から明治時代の教科書までいろいろなものが取り上げられていて、難易度が調整されている。そして、現代の日常に残っている文字の歴史も分かって楽しい。
 小野ばかむら譃字盡は単体で愉快だ。よく知られたものは、それだけパロディしたくなってしまうということか。著者は江戸の人間の諧謔に呆れていたが、元来の習字用である原作じゃなく、パロディの方を取り上げる著者も諧謔がある。

カテゴリ:文学 | 11:43 | comments(0) | -

あるかしら書店 ヨシタケシンスケ ポプラ社

 驚くほど色んな本がそろうあるかしら書店。お客さんに「こんな本はないかしら?」と聞かれた店長が次々と変な本を引っ張り出してきて内容を見せてくれる万華鏡。
 柔軟な発想でたくさんのアイデアを詰め込んで描かれていて楽しめた。一番気になったのは水中図書館かな。水没していく本たちが可哀想で……貴重な本だから救助しようって話にはならないらしい。物語の中だから扱いの荒いところがある。
 毎日石を拾ってきて、その物語を創ったおじいさんの本も良かった。

 図書館や本屋、そこに働く人々への想いがこもった本はちょっと入り込みすぎる感覚がした。あわよくば大ヒットしたい人ばっかりでニヤけてしまう。オチの説得力が高かった。
 でも、宗教指導者になって、その言行録を売れば確実に大ヒットすると言えるんじゃない?今度はぜったい(信者の多い)宗教指導者になれる本が見つからない気はする。

カテゴリ:文学 | 14:54 | comments(0) | -

書物を愛する道 柳田國男

 すでに1940年には本のタイトルが長くなって中身を表すようになったことが嘆かれていた!?原因は装丁の画一化にあって、外面から一目で内容を予想することが難しくなった影響だという――特に文庫の場合は。
 Web小説サイトならもっと情報が少なくなるから納得感がある。ライトノベルが複数のレーベルから出ている場合は、レーベルごとの特色が少しはヒントになる?

 また、文庫に収録される割合は海外の書物が高くて、日本の古典が低いことも著者は嘆いていた。そうなる原因としての散漫な書き方をされているとの指摘も興味深い。著者が期待するうまくエッセンスをまとめた本を作る労力は素直に翻訳する労力を超えるのだろうな。
 この件に関して現代の日本は別の方向に行っているようだが――むしろ海外の文献を読むべきと言われている?――出版社の事業を考える上でも興味深かった。

柳田國男 書物を愛する道
カテゴリ:文学 | 22:43 | comments(0) | -

学校図書館とマンガ 高橋恵美子・笠川昭治 日本図書館協会

 はだしのゲンや火の鳥だけじゃない。学校図書館にもマンガを導入することを提案するブックレット。個人的な経験で考えると、もしも学校図書館にマンガが置かれていたらマンガを優先して読んでしまって、活字を読まなかったと思う。
 だが、著者や考えを同じくする司書は、マンガがまったく活字に親しんだことのない生徒にも読書をする入り口になると考えて、全体の裾野を広げて行きたいようだ。(元)生徒と司書では視点が違うのである。自分も実際にマンガが置いてあった場合に、どうなったかは分からない。

 アメリカではよりにもよって「DEATH NOTE」が学校図書館で人気らしいと海外の事例が報告されている。銃社会の子供たちにとってのDEATH NOTEは日本の子供たちとは別の印象を与えるかもしれない。
 大人が許容していることに少し驚く。

 日本でも試みている学校はあり、埼玉県立飯能高校の図書館には2800冊ものマンガがあると知って驚いた。ここまで来ると将来、漫画家になることを志している生徒なら、進路に考えそうだ。
 非正規雇用問題が学校図書館の未来に影を落としていて、マンガの導入に関しても非正規の司書では強く主張できない問題があるとしている。マンガの導入は教育の目的だから、それに適うならできなくてもいいのだが、学校図書館が主体性を失ってしまうのは好ましくないことだと思う。

カテゴリ:文学 | 00:27 | comments(0) | -

のうりん13巻だ! 白鳥士郎・切符

 2016年に出版されて次が最終巻と宣言されてから6年。いまだに最終巻は出ていない。りゅうおうのおしごと!は4巻まで出ていたみたいだ。農林高校の生徒が2周する年月は非常に長いなぁ。
 まぁ、それでも最終巻が出てくれれば……待つイラストレーターの切符先生も大変だ。

 表紙の通り継と吉田が両想いをハッキリさせる巻だった。ベッキーは二人のため犠牲になったのだ(結果的に)。ヒトラー 最期の12日間ネタを持ってくるとは!
 そして、ココイチカツ問題が懐かしかった。当時関心をもって追っていたから覚えているが、最終巻が出た時に読み返したら思い出せるかな。冷凍と解凍を繰り返して味はいまいちになっていたとの情報もあったけど、作中では文句なくおいしい扱いである。

 バイオ鈴木が推し声優に送ったプレゼントが、耕作のナスを上回るヤバさ。見た目がもうちょっとどうにかならないのか?文章の表現だけでも怖い。あるいは文章だから寄せて想像してしまって、実物以上に厄くなっている?
 まぁ、だからこそ自分で作るのに向いている美容用品なんだろう。うん。

 さて「元の世界」に帰っていった林檎を耕作たちは連れ戻して無事生徒会長に就任することができるのか。それとも別の世界で生きていくことを決断させられるのか。
 どこかで各務原生徒会長のカットが1枚ほしかったぁ〜!

白鳥士郎作品感想記事一覧

カテゴリ:文学 | 15:10 | comments(0) | -

のうりん12巻じゃないの? 白鳥士郎・切符

補修1 農林サッカー
 少林サッカーが懐かしい。ナンセンスな試合を演じることすらできなかったよ……。ネタフリとツッコミをここまで続けて、ウィキペディア的出典を書き連ねる形式は新鮮だった。新鮮だったが、説明を読んでいる時は気持ちが虚無になった。
 いったい自分は何を読んでいるのかと。

補修2 現実ゲーム
 人生ゲームのパロディ……にしても、シビアすぎる。イケメンと巨乳は許される。ベッキーの偏った価値観が徹底的に反映されている。恐ろしい。出版当時は「親ガチャ」の言葉はまだ流行していなかったな。ただ親ガチャ基準だとベッキーは親ガチャ当たりなんだよなぁ……。
 林檎が勘違いした貧乏子沢山の意味が子供がたくさんいるから貧乏に反転しているが、現代にはふさわしい意味かもしれない。
 農のライフプランは耕作が同意すれば、割りと計画通りに進みそうに思える。TPPなどの外的要因はあるかもしれないが。

補修3 のうりんフロムアニメイション
 いろいろと短い話が集まっている。農が耕作の洗濯物でヤバいことしている話が衝撃的だった。エロ本に許容しちゃいけないやつが混じっていたが意味が理解しきれなかったのか?耕作も高校生で高度な性癖に目覚め過ぎだよ。

補修4 農業めし
 マネーの金上は作り話をしなくてもトップを取れたのに、あえての作り話だったな。商売で繰り返しやると炎上を起こしそう。半ベソで耕作にすがりついてほしい。
 農の年越しそばは文句なく美味しそうだった。農家はいいもの食べる機会がある(はず)ということで百姓貴族を連想した。

白鳥士郎作品感想記事一覧

カテゴリ:文学 | 22:40 | comments(0) | -

宮沢賢治と学ぶ宇宙と地球の科学5〜気象と海洋 柴山元彦・編著

 グスコーブドリの伝記と風野又三郎が印象的だった。グスコーブドリの伝記はテラフォーミングみたいなことに手を出していて、SF的要素も強い。火山を噴火させたら二酸化炭素増加の温暖化が起きる前にエアロゾルなどでさらなる寒冷化が起きた予感もするけど――冷害の描写が克明なだけに失敗した場合のことを想像してしまった。
 とはいえ宮沢賢治が書いた当時では二酸化炭素で温暖化することも最新の知見だっただろうな。煙突から立ち昇る煙の描写も観察力の鋭さを感じさせて良かった。

 風野又三郎は風の又三郎の元になった作品で、主人公は完全に風そのもの。擬人化された風の視点で高気圧・低気圧・竜巻・大循環などが描かれている。ときに自然災害をもたらすものではあるが、こうして擬人化されると憎めない。

 台風で関西国際空港の橋にタンカーがぶつかった事故の写真があって、2018年のことなのにずいぶん昔のように感じてしまった。近年はいろいろなことがありすぎた。

 落ちてくる雨滴の直径ごとの形状も興味深かった。絵に描かれる涙滴型は完全に空想の産物ということか……。

関連書評
宮沢賢治と学ぶ宇宙と地球の科学2〜地球の活動 柴山元彦・編著

カテゴリ:文学 | 13:10 | comments(0) | -
| 1/13PAGES | >>