台湾和製マジョリカタイルの記憶 康鍩錫・著 大洞敦史・訳
2024.03.19 Tuesday | by sanasen
戦前に日本やイギリスで生産された彩色タイルが台湾の地に多く残っていた――再開発によって過去形になりかかっていることが寂しいが、多くの古民家などを尋ねて彩色タイルを撮影して回った著者による記録とタイルの種類ごとの解説。
同じ型のタイルでも彩色によってまったく異なった印象を与えるものに化けることを、写真を並べて教えてくれる。また、タイルの並べ方によっても大きく印象が変わっておもしろい。「向心配列」では背景になっていた柄が、「離心配列」では主人公に変身してしまう。
それを見てから向心配列の背景になっている柄をやっと意識できることもある。
彩色タイルが台湾周辺で流行した時期はイギリスから日本に生産地が切り替わっていく時期でもあった。
裏側のマークから生産者が分かる場合があって興味深い。イギリス製タイルの模様を丸々模倣している日本のタイルはちょっと行儀が悪い。法的な保護はなかったのかもしれないが。
インドにおいても1925年ごろにシェアがイギリスから日本に移ったとのことで、日英同盟が1923年に失効していることと関係があるのだろうか。
台湾にもインド向けと思われる模様のタイルが少数確認されていて、本来インド向けだったサンプル品を流用したものだと著者は考えているようだ。
現地の絵師が真っ白なタイルに絵付けをして焼いた手書きタイルの絵からは中国の文化が伝わってくる。蝙蝠の蝠と福みたいに読みの音が同じ(近い)だから縁起がいいって感覚はなかなか理解しがたいな。日本でも『打ちアワビ』『かちぐり』『昆布』のダジャレみたいな縁起物があるのだから、文化より時代の違いかもしれない。
同じ型のタイルでも彩色によってまったく異なった印象を与えるものに化けることを、写真を並べて教えてくれる。また、タイルの並べ方によっても大きく印象が変わっておもしろい。「向心配列」では背景になっていた柄が、「離心配列」では主人公に変身してしまう。
それを見てから向心配列の背景になっている柄をやっと意識できることもある。
彩色タイルが台湾周辺で流行した時期はイギリスから日本に生産地が切り替わっていく時期でもあった。
裏側のマークから生産者が分かる場合があって興味深い。イギリス製タイルの模様を丸々模倣している日本のタイルはちょっと行儀が悪い。法的な保護はなかったのかもしれないが。
インドにおいても1925年ごろにシェアがイギリスから日本に移ったとのことで、日英同盟が1923年に失効していることと関係があるのだろうか。
台湾にもインド向けと思われる模様のタイルが少数確認されていて、本来インド向けだったサンプル品を流用したものだと著者は考えているようだ。
現地の絵師が真っ白なタイルに絵付けをして焼いた手書きタイルの絵からは中国の文化が伝わってくる。蝙蝠の蝠と福みたいに読みの音が同じ(近い)だから縁起がいいって感覚はなかなか理解しがたいな。日本でも『打ちアワビ』『かちぐり』『昆布』のダジャレみたいな縁起物があるのだから、文化より時代の違いかもしれない。
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