徳島の土製仮面と巨大銅鐸のムラ〜矢野遺跡 氏家敏之

 土製仮面は縄文時代、巨大銅鐸は弥生時代。はっきりした連続性はないものの、両方が発見されていることが注目に値する徳島県は吉野川流域の矢野遺跡。
 特に注目されるのは巨大な銅鐸が埋納された様子が、克明にわかる発掘のされかたをしていることだ。ひとつの時代の画期が地下に埋まっていたと著者は実感した模様である。

 矢野遺跡の立地もおもしろく、ちょうど沿岸と山地の集落の間をつなぐ位置に存在している。
 矢野遺跡が廃絶したのは鮎喰川による水害もさることながら、緩衝地帯をおかなくても交流できるほど、両者の交流が成熟したこともあるのかもしれない。そんな想像をした。

 土製仮面は全体に施された点の模様が怖い……何かの病気を表している可能性もある?仮面に被った人間の病気を移したとか?考えさせられるが、縄文時代のことなので謎が多い。

新泉社 遺跡を学ぶシリーズ感想記事一覧

徳島の土製仮面と巨大銅鐸のムラ 矢野遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」125)
徳島の土製仮面と巨大銅鐸のムラ 矢野遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」125)
カテゴリ:日本史 | 22:37 | comments(0) | -

装飾古墳と海の交流 虎塚古墳・十五郎穴横穴墓群 稲田健一

 シリーズ「遺跡を学ぶ」134

 茨城県ひたちなか市の装飾古墳、虎塚古墳とそのすぐ近くに存在する十五郎穴横穴墓群から、古代日本の海洋民の動きが想定されている。
 海上輸送の力は陸上輸送の100倍!道路が発達していなかった古代においては特に重要だったかもしれない。銚子沖が海上輸送の難所で、江戸時代には内水面が利用されていたらしいので、一概にはいえないが……太平洋と香取海を縦横にいききしていた人々の墓なのかもしれないな。

 虎塚古墳発掘の動機が、高松塚古墳の壁画を保存するデータを得るためで、虎塚古墳に壁画があることは予想外だった点がおもしろい。
 しかし、事前に環境を把握していたおかげで保存がうまくいった点を考えると、壁画があるかないか分からない古墳でも石室を開く前に環境を把握しておく必要があると示したわけである。

 側面の壁画に丸が9つあるのは中国の神話における太陽が9つ表れた現象を反映しているのではないかと想像した。そうだとすれば、ユギの絵が目立つことからも弓矢への拘りが強い一族だったのではないか?

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装飾古墳と海の交流 虎塚古墳・十五郎穴横穴墓群 (シリーズ「遺跡を学ぶ」134)
装飾古墳と海の交流 虎塚古墳・十五郎穴横穴墓群 (シリーズ「遺跡を学ぶ」134)
カテゴリ:日本史 | 21:48 | comments(0) | -

これだけは知っておきたい教科書に出てくる日本の城 西日本編

 戦国時代は多くの地名が生まれた時代。新しい城と同時に、新しい地名が次々と作られたことが分かった。嚆矢となるのは、織田信長の岐阜か?
 織豊系大名たちが封じられた先で、築城と地名を名付けることをセットでおこなうのは、信長に始まる行動様式なのではないか?きっと遡ればもっと前があるだろうと思いつつ、そう感じた。

 県の名前にまでなっている「福岡」が、もともとは黒田家がいた備前の地名だったことは地名も立身出世した感じだ。
 この裏で歴史ある地名が次々と上書きされてしまったことも忘れられない。明治時代の破却は、江戸時代に入ったときにやったことをやり返された面もないとは言えない……。

 戦国時代以外では鬼ノ城と吉野ヶ里遺跡が出てきた。太宰府の水城も教科書に出てきそうなんだけどな。あと、ナゴヤ城は東アジアの歴史的にも重要かと。
 最後に出てきた首里城に泣きそう。まさか炎上するとは、この本が編集されたときには予想されていなかっただろう。

これだけは知っておきたい教科書に出てくる日本の城 西日本編
これだけは知っておきたい教科書に出てくる日本の城 西日本編
カテゴリ:日本史 | 21:51 | comments(0) | -

沖縄戦の発掘〜沖縄陸軍病院南風原壕群 池田榮史

 シリーズ「遺跡を学ぶ」137

 第二次世界大戦の沖縄戦で、病院として利用された南風原町の地下壕を発掘した記録。シリーズの中でも飛行場に並んで、非常に新しい遺跡である。
 前半は沖縄戦の経緯が戦記のようにまとめられていて、中盤以降から発掘の話に入る。大学生たちに長期休暇を利用して発掘してもらったことが、彼らに強い印象を与えたようだ。

 オカルト的な恐怖はともかく、注射針の存在など比較的リスクの高い発掘作業だったと思われるが、無事に済んだようで何より。沖縄の日常が戦争と地続きであることを意識せざるを得ない。
 ろうそくで酸素濃度を確認して、酸素がなくなりそうになったら、みんなで壕内の換気をしたという、ひめゆり隊の記述も壮絶だった。
 壮絶な思い出だっただろうに、元陸軍病院関係者や元ひめゆり隊の人は、よく壕に戻っての話をしてくれたなぁ……

 ここで行われた厚生省の遺骨回収事業が重機で掘り返し、記録もろくにとらない乱暴なものだったことは、ロシアの遺骨返還事情で問題を起こしていることにも通じている気がした。

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沖縄戦の発掘 沖縄陸軍病院南風原壕群 (シリーズ「遺跡を学ぶ」137)
沖縄戦の発掘 沖縄陸軍病院南風原壕群 (シリーズ「遺跡を学ぶ」137)
カテゴリ:日本史 | 21:41 | comments(0) | -

日本海側最大級の縄文貝塚〜小竹遺跡 町田賢一

 日本海側では貝塚が発達しない。そんな定説を覆した巨大な貝塚、小竹遺跡。ただし、貝塚を構成している貝は、大半がキスイ生のヤマトシジミである。
 一説によれば潮位差が太平洋側より小さく、潮干狩りに向かないことが影響しているらしい。

 貝によって酸性が中和されていたこともあって、出土した遺物は保存状態がよい。人骨も保存状態がよくてミトコンドリアDNAが分析できるものもたくさんあった。
 何よりも人骨が大量に出ていて、同時期の縄文時代前葉では飛び抜けた存在とのこと。まだ、一部しか発掘されていないのだから合計で何体の骨が埋まっているのか――恐がりの人には想像させられない。

 山形県の押出遺跡が似た例として何度も名前をあげられていた。押出遺跡の本でも小竹遺跡が言及されていたはずで、相互に補い合う関係にあるらしい。

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日本海側最大級の縄文貝塚 小竹貝塚 (シリーズ「遺跡を学ぶ」129)
日本海側最大級の縄文貝塚 小竹貝塚 (シリーズ「遺跡を学ぶ」129)
カテゴリ:日本史 | 22:28 | comments(0) | -

縄文漆工芸のアトリエ〜押出遺跡 水戸部秀樹

 シリーズ「遺跡を学ぶ」133

 山形県南部の広大な元湿地である「大谷地」から発見された縄文時代の彩漆土器をはじめとする見事な製品の数々。ここで繰り広げられた生産活動の実態が描き出されている。

 タイトルの「アトリエ」を振り返って確認すると納得できる。うまいタイトルの付け方をしたものだ。
 湿地を利用するための盛り土工事は、かなりのもので、縄文人の環境改変能力も侮れない。と、同時に限界があったから短期間で終わってしまったようだが。

 鯛の歯を利用した飾りがなかなか特殊でおもしろかった。丸いことから、まるで真珠のように利用されている。
 やはり縄文人は自然の中から素材をみつけだす天才であったようだ。

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縄文漆工芸のアトリエ 押出遺跡 (シリーズ遺跡を学ぶ」133)
縄文漆工芸のアトリエ 押出遺跡 (シリーズ遺跡を学ぶ」133)
カテゴリ:日本史 | 20:12 | comments(0) | -

ヤマト王権誕生の礎となったムラ〜唐古・鍵遺跡 藤田三郎

 シリーズ「遺跡を学ぶ」135

 奈良県の唐古池から発見された大量の土器片から126次におよぶ発掘調査が始まった!
 ……掘りすぎ!!

 それほど唐古・鍵遺跡は広大で掘る価値のあるものが大量に出土した。長い時代にわたって遺跡がつづいていた影響も大きい。
 日本でも希有な遺跡であり、近隣のマキ向遺跡につながると評価されているのも納得だった。

 著者は唐古・鍵遺跡の生産力に注目していて、青銅器から木製品、布など多種多様な生産品があったことを取り上げている。圧倒的な生産量で周囲の集落を自らに依存させていたのか、製品の生産を許さないほど権力があったのか。
 卵と鶏の関係でもあるかもしれない。

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ヤマト王権誕生の礎となったムラ 唐古・鍵遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」135)
ヤマト王権誕生の礎となったムラ 唐古・鍵遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」135)
カテゴリ:日本史 | 21:04 | comments(0) | -

これだけは知っておきたい教科書に出てくる日本の城〜東日本編

 五稜郭や多賀城が出てきた。タイトルから考えれば当然かもしれない。でも、最後の方は中部地方だけに戦国時代から江戸時代初期の城が多かったかな?
 川崎克氏が私財を投じてつくった伊賀上野城の復興模擬天守に対して、どんな感情をもったらいいのか、わからず複雑な気分になった。1935年再建だから、すでに古さで貴重さを訴えられる状況になっているし……。

 松坂城の御城番屋敷には今も人が住んで生活が営まれているというのも驚いた。白川郷の合掌造り家屋みたいなものかなぁ。
 ヨーロッパでは似た例が多くありそうではある。

 天守と天守閣の用語についてはコラムで説明されていて、自治体の呼称に準じることにしたらしい。コラムでは天守で統一するとしたあたり、コラム執筆者には思うところがありそうだが。

これだけは知っておきたい教科書に出てくる日本の城 東日本編
これだけは知っておきたい教科書に出てくる日本の城 東日本編
カテゴリ:日本史 | 13:43 | comments(0) | -

戦国・江戸時代を支えた石〜小田原の石切と生産遺跡 佐々木健策

 シリーズ「遺跡を学ぶ」132

 箱根火山のたまもの神奈川県西部の石材が戦国・江戸時代に利用されていた様子を描いた一冊。この研究は地球科学と考古学のコラボレーションである。神奈川県立生命の星・地球博物館の真裏に石切遺跡があったとは!

 小田原城下の職人街に、石垣山城山腹の石丁場遺跡と、いろいろな遺跡が一冊に出てきて、シリーズのほかの本にくらべると焦点があわせにくかった。
 ひとつの遺跡に集中するシリーズとの思いこみで読んでしまっていたところがある。

 江戸城の建設工事が非常に大規模なもので、石切が素人仕事でおこなわれていたことも興味深かった。
 そういう仕事の出来がわかるのも現代につづく石切職人がいるおかげだ。悲しいことに研究がギリギリ間に合ったとも思えてしまう。

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戦国・江戸時代を支えた石 小田原の石切と生産遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」132)
戦国・江戸時代を支えた石 小田原の石切と生産遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」132)
カテゴリ:日本史 | 23:58 | comments(0) | trackbacks(0)

戦国江戸湾の海賊〜北条水軍vs里見水軍 真鍋淳哉

 シリーズ実像に迫る016

 房総半島と三浦半島。東京湾を挟んで二つの半島に展開した二つの水軍による戦いを描く。なんとなく地中海におけるキリスト教勢力とイスラム教勢力の仁義なき戦いを思い出した。
 北条氏の水軍は粗末な家でも焼き払うように命令されていたわけで、沿岸住民の生活の大変さが想像できる。
 だが、彼らは逞しく、半済という両属の手段などを利用して、両勢力の間でなんとか生きていたことも描かれていた。

 北条氏(おそらく里見氏も)が、この両属状態を積極的に利用していたことが面白い。必ずしも解消すべき問題のある状況ではなくて、侵攻の足がかりになるものでもあったという感覚は、国境がはっきり決められた現代社会の考え方には馴染みにくいものだ。
 だから見落としに注意しなければならない。

戦国江戸湾の海賊 北条水軍VS里見水軍 (シリーズ実像に迫る016)
戦国江戸湾の海賊 北条水軍VS里見水軍 (シリーズ実像に迫る016)
カテゴリ:日本史 | 19:26 | comments(0) | trackbacks(0)
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