光武帝 「漢委奴国王」印を授けた漢王朝の復興者 小嶋茂稔
2023.11.28 Tuesday | by sanasen
世界史リブレット人013
前漢から禅譲を受けて新を建てた王莽に対する反乱を勝ち抜いて後漢を築いた劉秀のブックレット。ページ数も限られるので反乱のサバイバルについては省略されている部分も見られるが、後漢を興してからの政治や外交についても扱っている。
また彼が傾倒した讖緯思想との関わりについても分析している。優秀な劉秀も讖緯思想が流行する世相からは逃れられないが、その中で自分の都合がいいように讖緯思想を活用してもいる。
新興ながら圧倒的な信者を得ている宗教に対する政治家の立ち回りとして見れば、そんなに特殊なものではない気がした。讖緯思想が現代まで続く宗教にはなっていないだけで。
まぁ、讖緯思想を信じない臣下を左遷したエピソードには入れ込んでしまっている様子も伺えたのだが。
王莽の「新」が、彼が一時期逼塞していた新野から来ているらしいことを知った。隗囂や公孫述に関する記述で、王莽が太守をいちいち別の呼称に変えていたことが分かって、間接的に政治的混乱を実感してしまった。
また歯向かってきた高句麗に対して王莽が下句麗と呼び替えたのは、称徳天皇の和気穢麻呂エピソードを彷彿とさせる。彼は「名前の力」を高く(過剰)評価していたんだろうな――それなのに国号は「新」かよと思ってしまうが。
劉秀の異民族対策では馬援将軍が酷使されていた。徴側・徴弐の反乱でベトナムに派遣されたと思えば、すぐさま烏桓対策で北に――そして、こっちは失敗。名将はたくさんいるのに仕事が集中したのは能力もさることながら、劉秀が功臣を裁きたくない方針だったせいかなぁ。
馬援は隗囂からの寝返り組で雲台二十八将には入っていないようだ。
前漢から禅譲を受けて新を建てた王莽に対する反乱を勝ち抜いて後漢を築いた劉秀のブックレット。ページ数も限られるので反乱のサバイバルについては省略されている部分も見られるが、後漢を興してからの政治や外交についても扱っている。
また彼が傾倒した讖緯思想との関わりについても分析している。優秀な劉秀も讖緯思想が流行する世相からは逃れられないが、その中で自分の都合がいいように讖緯思想を活用してもいる。
新興ながら圧倒的な信者を得ている宗教に対する政治家の立ち回りとして見れば、そんなに特殊なものではない気がした。讖緯思想が現代まで続く宗教にはなっていないだけで。
まぁ、讖緯思想を信じない臣下を左遷したエピソードには入れ込んでしまっている様子も伺えたのだが。
王莽の「新」が、彼が一時期逼塞していた新野から来ているらしいことを知った。隗囂や公孫述に関する記述で、王莽が太守をいちいち別の呼称に変えていたことが分かって、間接的に政治的混乱を実感してしまった。
また歯向かってきた高句麗に対して王莽が下句麗と呼び替えたのは、称徳天皇の和気穢麻呂エピソードを彷彿とさせる。彼は「名前の力」を高く(過剰)評価していたんだろうな――それなのに国号は「新」かよと思ってしまうが。
劉秀の異民族対策では馬援将軍が酷使されていた。徴側・徴弐の反乱でベトナムに派遣されたと思えば、すぐさま烏桓対策で北に――そして、こっちは失敗。名将はたくさんいるのに仕事が集中したのは能力もさることながら、劉秀が功臣を裁きたくない方針だったせいかなぁ。
馬援は隗囂からの寝返り組で雲台二十八将には入っていないようだ。