光武帝 「漢委奴国王」印を授けた漢王朝の復興者 小嶋茂稔

 世界史リブレット人013

 前漢から禅譲を受けて新を建てた王莽に対する反乱を勝ち抜いて後漢を築いた劉秀のブックレット。ページ数も限られるので反乱のサバイバルについては省略されている部分も見られるが、後漢を興してからの政治や外交についても扱っている。
 また彼が傾倒した讖緯思想との関わりについても分析している。優秀な劉秀も讖緯思想が流行する世相からは逃れられないが、その中で自分の都合がいいように讖緯思想を活用してもいる。
 新興ながら圧倒的な信者を得ている宗教に対する政治家の立ち回りとして見れば、そんなに特殊なものではない気がした。讖緯思想が現代まで続く宗教にはなっていないだけで。
 まぁ、讖緯思想を信じない臣下を左遷したエピソードには入れ込んでしまっている様子も伺えたのだが。

 王莽の「新」が、彼が一時期逼塞していた新野から来ているらしいことを知った。隗囂や公孫述に関する記述で、王莽が太守をいちいち別の呼称に変えていたことが分かって、間接的に政治的混乱を実感してしまった。
 また歯向かってきた高句麗に対して王莽が下句麗と呼び替えたのは、称徳天皇の和気穢麻呂エピソードを彷彿とさせる。彼は「名前の力」を高く(過剰)評価していたんだろうな――それなのに国号は「新」かよと思ってしまうが。

 劉秀の異民族対策では馬援将軍が酷使されていた。徴側・徴弐の反乱でベトナムに派遣されたと思えば、すぐさま烏桓対策で北に――そして、こっちは失敗。名将はたくさんいるのに仕事が集中したのは能力もさることながら、劉秀が功臣を裁きたくない方針だったせいかなぁ。
 馬援は隗囂からの寝返り組で雲台二十八将には入っていないようだ。

カテゴリ:中国史 | 02:53 | comments(0) | -

イラストと史料で見る 中国の服飾史入門 古代から近現代まで 劉永華

 古田真一・栗城延江 訳・監修

 一万年に渡る中国の服飾の変化をイラストで追うことができる。貴族や王族の男女に平民、そして軍人のイラストが多い。防具については青銅製なら布に比べて遥かに残りやすいことも描かれやすくしている気がする。
 軍服から女性服への流れが頻繁に存在するとの指摘には驚いたが、現在残っているのは孫文の中山服から軍服への流れだったりする。さらに女性服への逆流を期待するのは難しそう。
 いわいるチャイナドレスと呼ばれる旗袍(チーパオ)について、清民族の服であるとの指摘が良くされるけれど、漢民族が着る女性服の伝統的延長線上にあるものだと専門家である著者が太鼓判を押していた。
 ぜひ覚えておきたい。

 博物館に展示されている服飾品について、普通は写真で済ませそうなところを本書は片っ端から彩色スケッチして載せている。あとがきで博物館員が展示品と数時間もにらめっこしている著者を見かねて椅子を持ってきたと書いていて面白かった。
 近現代の服については着た状態を示せるためか、多少の写真もあった。社会情勢が反映されていてなかなか興味深かった。
 額を花粉で黄色く塗る風習はおもしろい。纏足が文化的流行によって長期間維持されたことが恐ろしい。

 54ページが文脈から明らかに「鐙」と翻訳するべきところを「鎧」とひどい間違いをしていてとても残念だった。キャプションの配置も追いかけにくいので、もう少し工夫してほしかった。
 著者は何度も繰り返し読める本を志したのに、日本語版がついていけていない印象がある。

カテゴリ:中国史 | 12:49 | comments(0) | -

太古の奇想と超絶技巧 中国青銅器入門 山本堯

 著者名は本名なのか?中国古代の帝王の「堯」と同じ文字で書いて「たかし」と読んでいる。対象が古代であることにイメージが引っ張られたのか、年齢が若いことにも驚いた。
 本書は泉屋博古館の学芸員である著者が書いた中国古代青銅器の入門書。主に殷周の時代に作られた多様な青銅器が収録されている。金文の書き方などを復元した内容もあり古代中国の青銅鋳造技術が達していた高みがわかり興味深い。虎の瞳孔の形が正確に描かれるなど、職人の実物に対する観察力も評価されている。
 青銅という硬い素材に書かれた文字が筆で書かれた可能性があるのは意表をついてくれた。中国清代の顧みられなかった仮説があっていたらしいことも劇的だ。

 有名な饕餮文とされるものが天帝の可能性もあると書かれていて驚いた。器種についても金文に書かれていないものは推測による当てはめがなされている物があり、意外と怪しいようだ。固定観念を持ちすぎないほうが良いのかもしれない。
 そもそもこの時代に器種の名前が知られていることが破格なんだろう。

 この段階では龍が脇役なのも面白かった。中国分野の源流が垣間見える世界だ。清の滅亡も影響して日本にも中国青銅器が流れて来ているので、実物を見たくなった。泉屋博古館は京都なのかー。

カテゴリ:中国史 | 21:59 | comments(0) | -

木簡・竹簡の語る中国古代〜初期の文化史 冨谷至

 古代中国において文字を書く素材として地位を確立していた木簡と竹簡(本書の中では簡牘(かんとく)という単語も出てくる)。蔡倫の活躍によって紙に役割を代替させられたと考えがちな木簡・竹簡は、しかし簡単に役割を失うことはなく、西晋の時代まで行政に活用されていた。

 骨や青銅器に軽く触れて、石に文字を書くことについて結構詳しく書いているのを読んで、なんとなく紙にまで言及することが予想できた。おおよそ想像の通りだった。もちろん主役は木簡・竹簡であるのだが。

 木簡と竹簡にも役割分担があって、竹簡は書き換えや編集の少ない書籍が主な用途であり、木簡は加工が竹簡よりもしやすいことからファイルを入れ替えたり追加する書類に使われていたらしい。
 古代日本から竹簡が発見されていないのも、このあたりに遠因があると考えられている。中国では木簡レス化された唐王朝の時代になっているわけで、日本でも書籍は紙だったのだろう。木簡は中国で末期まで活躍できた性質を活かして活用されていたようだ。

 蔡倫以前のものとして遺跡から発見されている「紙」は字を書く素材ではなく物を包むための梱包材だったと分析していることも興味深かった。
 紹介される文は釈文と書き下しのみの場合があり、一度よみがなが振られた語はそれまでだったりするので、やや読みにくさを感じた。しかし、時期的に親しみの強い三国志の時代が関わってくるので、そこで興味関心を強められるのだった。

関連書評
漢帝国と辺境社会 籾山明
孫ピン兵法〜もうひとつの「孫子」 金谷治

カテゴリ:中国史 | 09:40 | comments(0) | -

中国の歴史・現在がわかる本 第二期3〜13世紀までの中国

 監修/渡辺信一郎 著/山崎覚士

 唐から南宋までの中国史。非常にややこしい五代十国時代が出てくる。せめて、地図で勢力の変遷を順番に紹介してくれないと言葉だけで吸収関係を理解するのは厳しかった。呉越が中央政権からみて、非常に殊勝な国であることは理解した。最終的にも抵抗せず宋に吸収されている。
 日本と呉越の交流はかなり興味深い歴史である。渤海よりさらに知られていないのでは。

 空海たちの遣唐使が唐帝国皇帝の葬儀と即位式に参列したとても珍しい経験をもっていることを知った。こういう何気ないエピソードの方が大局的な外交上のやりとりよりも親しみを生むかもしれない。
 王安石の改革はやったことの是非よりも新法と旧法で行ったり来たりすることになって政治を混乱させたことが王朝にとって良くなかったとされている。どっちでもない第三の方法に走れば良かったのでは――科挙が誇るエリート官僚でもそんなにポンポン思いつかないか。
 科挙のために暗記しなければ行けないテキストは40万文字以上で一日200文字覚えても6年かかるとのこと。そこまで人生を費やして合格できなかったら辛いだろうな(テキストの内容が他の仕事で応用できればまだ良いのだが)。科挙落第生だった黄巣が乱を起こした心理にどれだけ影響しているのだろう。

カテゴリ:中国史 | 19:14 | comments(0) | -

中国の歴史・現在がわかる本 第二期2〜2度目の中国ができるまで

 監修/渡辺信一郎 著/岡田和一郎

 みんな大好き三国志の時代から五胡十六国時代をへて隋唐の時代まで。北方と東方の遊牧民と中国の関係が新しく作られていく。紛らわしい宋(劉宋)が誕生した時代でもある。みんな春秋戦国時代の宋が好きすぎる……私も大好きさ!

 何と言っても印象的なのは前秦の符堅による淝水の戦いでの無惨な敗北だが……説明をそのまま受け取れば多民族の烏合の衆だったことが大きな敗因になっているから、後の華北王朝である北魏が漢民族と支配民族の一体化「漢化政策」を志したりするのも自然なことだったのかもしれない。
 北魏が分裂した東魏と西魏では東魏が規模が大きいゆえに方針に対立があったのに対して、劣勢な西魏は「関隴集団」を形成して、あとを引き継いた北周による華北の統一をもたらしたという点でも興味深い。
 西魏が周の政治を理想とするという新の王莽フラグを立てて成功しているのも……あくまでもシンボルとして利用しただけで実情に則した改革を行ったのだろうな。周の名前を借りてあれこれやること自体は珍しくないからなぁ。
 南に逃れた漢民族王朝が「南蛮」呼ばわりされた話も面白かった。この時代に関心をもつことができた。

カテゴリ:中国史 | 18:45 | comments(0) | -

中国の歴史・現在がわかる本 第二期1紀元前から中国ができるまで

 監修/渡辺信一郎 著/目黒杏子

 二里頭遺跡の昔から後漢まで。中国が形成された時代のビジュアルブック。殷周時代の青銅器製作技術の高さが写真資料から見て取れる。一族の節目の儀式に使われることで封建関係を定期的に思い出させる道具になっていたらしく、なかなか巧みな装置だと感じた。

 早足な歴史紹介だと無視されがちな更始帝についてもちゃんと言及されていた。劉秀の兄については流石にちょっとだけだったが。
 裏表紙に載っている金印が南越王国の二代目文帝が発行した金印で「漢」が発行したものではない。志賀島の金印を使えばいいのに妙に捻ったものだ。おかげで知らない金印を見ることができたので個人的にはありがたい。
 金印の文字から漢字に当時の人々が感じていた呪術的とも言える権威が伝わってくる。

カテゴリ:中国史 | 21:32 | comments(0) | -

韓非 貝塚茂樹 講談社

 韓非子に名を残す、中国戦国時代の政治家、韓非について著作と彼が生きた時代から語った一冊。
 よく言われる李シと韓非が旬子門下の同門だった説について、著者は強く否定している。途中で抜粋した中国の研究者の文章は、同門前提で話しているので注意が必要だ。
 あえて言えば李シは著作を通して韓非の弟子だったと言えるのかもしれない。著作ではなく、生きた本人を前にして秦帝国の方針を策定していたら、けっこう違った結果になったのかもしれない。
 マキャヴェリ本人の意見をいれて政治を行うのと、君主論を金科玉条にして政治を行うのでは違った結果になるように−−(一部の原稿は)就職活動的な要素のある著作だった点でも韓非子と君主論は似ているな。

 墨家が道家の流れを汲む集団で、さらに法家も墨家から出てきたとする視点も興味深い。気がつけば正反対の方向に走っているようで、確かな影響がそこには存在する。
 それが反論から生まれたのか、フォローから生まれたのか、なかなか判断の難しいところではあるが。

 最後に江戸時代の韓非子研究が、ともすれば中国よりも盛んだったことについて、触れられている。著者は本書で否定したことだが、儒学者にとっては旬子の弟子とされる韓非だから研究する気になった側面もありそうだな。皮肉な話である。

カテゴリ:中国史 | 22:56 | comments(0) | -

大唐帝国〜四海を照らす栄華を誇る王朝 新・歴史群像シリーズ

 遣唐使や玄宗と楊貴妃、エキゾティックな100万都市長安などの華やかなイメージに包まれた唐の時代がまとめられた本。
 科挙制度が始まったことも中国の歴史において画期である。しかし、科挙官僚をもってしても宦官の専横を押さえることはできず(科挙官僚は門閥貴族との戦いに忙しかった)大帝国は内側から食いつぶされていくのであった。

 安史の乱の解説を中心にソグド人が唐で果たした重要な役割も紹介されている。
 新しい血を入れ続けることは「異民族による征服王朝」の唐に必要だったに違いないが、ボタンの掛け違えで大変なことになってしまった。
 楊国忠などを重用しなければ……やはり間接的に楊貴妃が国を傾けたことになる。えこひいきはひいきする相手への毒にもなる。玄宗が相手を本当に思いやるなら?

 安史の乱以後も唐帝国はなかなかの粘りをみせていて、両税法などの改革も興味深かった。黄巣の乱における黄巣の滅びかたが単純ゆえに趣深い。安史の乱は内輪もめの連続で敵がつぎつぎと変わったからなぁ。もっとも、黄巣の乱も最初に離間の計が使われている。

 スチューデントが後梁を興してから、超教員が宋で中国を統一するまでが五代十国と覚えたら、ちょっと覚えやすそうと思った。でも、朱忠全じゃなくて、朱全忠なので語呂合わせに失敗している。

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新・歴史群像シリーズ 18 大唐帝国新・歴史群像シリーズ 18 大唐帝国
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永楽帝〜明朝第二の創業者 世界史リブレット人038 荷見守義

 朱元璋の建てた明帝国は二代目から大きくつまずく。皇太子が死去して、まだ若い孫を後継者にしなければならなかったのだ。毛利元就を思わせる状況だが、二代目建文帝の叔父は毛利両川のように甥を支えてくれなかった。
 とういよりも、建文帝の側から徹底的な実力者である叔父の排除に走った。かくして日本で言えばジンシンの乱にも似た構図で、皇帝の座をめぐる内戦が勃発して、叔父側の燕王――永楽帝が勝者となる。
 明の建国に絡む戦いも良く知らなかったが、さらに後継者争いの戦いが起こっていたとは知らず、とても新鮮だった。
 圧倒的な力を持つ建文帝に対して、動かせる人数が800人まで削られてから、ついに決起して厳しい戦いを勝ち抜いた展開が熱い。魏の皇帝がわずかな手勢で司馬氏に挑んだのも、荒唐無稽な笑い話にするべきではないのかも?
 まぁ、本拠地が離れている状況では同じようには語れないかな。

 明帝国の悲惨なイメージはわかることなく、朱元璋は功臣を必ず1万5千人単位で一族もろとも処分するし、永楽帝も血なまぐさい行動を取ってしまっている。
 鄭和の大航海もあって対外的には輝かしい時代なのだが、どうにも美徳に欠ける部分が目に付いた。それでも巨大な中国を支配した皇帝たちの偉大さは否定しがたい。

永楽帝―明朝第二の創業者 (世界史リブレット人)
永楽帝―明朝第二の創業者 (世界史リブレット人)
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