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天空の舟〜小説伊尹伝・下 宮城谷昌光

 夏の桀王と商の湯王、どうして差がついたのか…慢心、環境の違い。

 桀王も最後は綺麗な桀王になって見事な戦いぶりを見せたが、時間の流れを逆転させることはできず、夏から商への革命はなるのであった。戦争の才はともかく、内政能力で考えれば商王朝になったほうが民衆にとっては好都合に決まっていた。
 そう考えると、日頃から積み重ねて来たものの差が如実に現れた戦いだったのかもしれない。片や大規模公共事業を起こして怨嗟を重ねた桀王、片や伊尹の勧めにしたがって農業改革などを粛々とおしすすめた湯王……。

 昆吾氏との激戦になったとき、湯王の元に諸侯が続々と集まるシーンに血が滾った。まるで英雄たちの集結――何か伝説的な物語の中にいるかのようだ。実際、その通りなのだが、宮城谷昌光先生の落ち着いた文体のおかげで空想とは思えなくなってしまっている。諸侯を集める原動力が、直接的には大臣の働きにだったところが面白い。
 胡服騎射の時代は遥か後世なのに、騎兵部隊を保有している費伯はジョーカーすぎた。さらに商の兵車もくわわって、機動部隊は商が一方的にもっている状態だったわけで、戦術の自由度がだんぜん違っていた。

 顎との密事がものすごく色っぽい藉鬚、負け続ける桀王に最後まで運命を共にした不思議さも印象的だ――祖国が敵に回っている点でも、紂王に殉じて自殺した妲己にイメージが被るところがある。
 奸臣あつかいの后侈も最後まで行動を共にしているし、悪役でも憎みきれず、愛せるとさえいえる人物が多い作品だった。

 天空の舟は、他の宮城谷作品に比べて娯楽性が非常に高く、何か「悪いもの」を読んでいる気持ちになってしまう。模糊とした時間の向こうに像を結ぼうとすれば、戦争が目立ってしまうせいだろうか。
 しかし、このタイトルは三日月を連想させるので、フックはなくても「桑の舟」の方が良かった気が……あるいは、そのまま「太陽の舟」でも伊尹じゃないか、と個人的には思う。古代エジプトでは太陽の船は葦で出来ているとされる点と、桑から太陽が生まれるとする古代中国の伝説を結びつけて考えたくなった。

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天空の舟―小説・伊尹伝〈下〉 (文春文庫)
天空の舟―小説・伊尹伝〈下〉 (文春文庫)
カテゴリ:時代・歴史小説 | 00:21 | comments(0) | trackbacks(0)

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