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筑紫政権からヤマト政権へ〜豊前石塚山古墳 長嶺正秀

 歴史的に散々な目にあわされてきた福岡県は周防灘に面する地の石塚山古墳。
 まずは江戸時代に水路の蓋をえるために石室の蓋石をはがされ、出てきた銅鏡などを近所の神社に配布される。しかし、結果的に見ればこれは不幸中の幸いで、それなりの記録と破損していない銅鏡が現代まで残される結果になった。
 酷いのは戦時中になってからの石炭輸送路を確保するための工事で、容赦なく近隣の古墳が破壊され、石塚山古墳もダメージを受けている。記録保存の意識など微塵もなかったようで、非常に残念だ。
 もっと残念なのは後方部に社殿をもつ浮殿神社による後円部の破壊行為である。戦争中の緊急性があったわけでもなく、行政から注意を受けていたにも関わらず、信仰の対象であるべき古墳を削ってしまう……まったくもって酷い話だ。

 それで危機感をもった人々が発掘調査を行ってみると、わずかながら出土品がえられ、他の古墳のデータが集まっていることから一応の復元もなされている。
 たびたび名前の出てきた黒塚古墳が石塚山古墳よりも気になってしまった。

 著者は葬礼や銅鏡に注目して、古墳を築く人々の間での階層関係を分析している。銅鏡をばらまいて権威を高めるのは戦国時代になっても茶器の形で行われているような……威信財の考え方は万国共通で時代を通して通用するものなのかもしれない。
 どうしても出土品を基準に物事を考えざるをえない考古学が必然的に行き着く発想という気もするが。

関連書評
筑紫君磐井と「磐井の乱」〜岩戸山古墳 柳沢一男

筑紫政権からヤマト政権へ・豊前石塚山古墳 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)
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