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古代東北統治の拠点〜多賀城 進藤秋輝

 仙台平野に存在した有名な多賀城。かつては多賀柵とも呼ばれた律令国家の一大拠点について、これまでの発掘調査で明らかになったことが紹介される。

 多賀城のひとつの転機は「三八戦争」において焼き討ちを受けたことで、それを境に――力強く復興している。蝦夷にとっては藪蛇になって人の流れを呼び込んでしまった感じがする。
 まぁ、単純に多賀城の充実が蝦夷にとって悪いことと言い切れるのかも謎ではある。
 発掘調査は軍事拠点である以上に行政拠点の顔をもっていた多賀城の姿を描き出している。城の南にあった町の見事なことは、ここが先進地域であったような印象すら与える。人材をかき集められた関東の状態はどんなものだったのだろうか。
 東北で都人からいろいろなことを学んで関東に持ち帰る逆流的な現象もあったかもしれないな。
 漆紙文書は思わぬ情報が出てきそうで夢がある。漆器がジャポンと呼ばれるだけのことはあるな。

 ちょっとだけ軍事に触れると三八戦争の後に築かれた櫓の間隔が弓矢の射程を考えてか、80メートルであることが当時の戦いをイメージさせた。築地塀だと瓦屋根の下に隠れられてしまう気がするのだが、問題はなかったのかな。鼠返しみたいになって、登りにくそうではある。
 主にクリの丸太を並べて立てた材木塀が規格の長さが4.6メートルで、地上の高さが3メートルはあったらしいことも覚えておこう。

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古代東北統治の拠点・多賀城 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)
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