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鎮護国家の大伽藍〜武蔵国分寺 福田信夫

 35郡ある陸奥の次に郡の数が多い「大国」武蔵の国におかれた国分寺(ただし、武蔵国33郡の中にはたった74人で設置された新羅郡もある)。その広大な境内を掘り、伽藍の配置を明らかにしていく。

 門の配置には国分寺によって法則性があって、金堂と講堂の芯々間距離を基準に二倍の距離に南大門が、南大門と金堂の中間からやや金堂よりに中門が配置されることが他の国分寺の発掘でわかったことから、武蔵国分寺の発掘調査にも適用して見事に南門(後から規模で南大門から南門に呼称が変更されたそうだ)を発見した話がおもしろかった。
 他の遺跡の情報を応用することで発掘は効率的になるわけだ。
 法則から外れていれば、それはそれで理由を考えるのが楽しい――部外者視点では。後世の攪乱で痕跡が消えてしまったのではないかと現場責任者は不安にさいなまれることもあるはず。大変である。

 印象に残った点では幡(ばん)が立てられていた穴が発見されて、歴史上の出来事と比較して、幡が立てられた経緯が考えられていたこと。
 瓦に関するいろいろな書き込みが整理されて長い研究の歴史があったことが挙げられる。

 業者の知識不足や行政の周知不足から、国分尼寺の遺跡が破壊されてしまった出来事は残念だった。過ちを繰り返さないように、こういう経験もあわせて後世に伝えなければ。

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新泉社 遺跡を学ぶシリーズ感想記事一覧

鎮護国家の大伽藍・武蔵国分寺 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)
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