<< 鎮護国家の大伽藍〜武蔵国分寺 福田信夫 | main | 律令国家の対蝦夷政策〜相馬の製鉄遺跡群 飯村均 >>

赤城山麓の三万年のムラ〜下触牛伏遺跡 小菅将夫

 群馬県は赤城山の山麓。遺跡が集中するこの地域で、旧石器時代三万年前の――著者のいう「岩宿時代」の遺跡が発見された。石器が環状に分布していたことから名付けられた「環状ブロック群」誕生の背景に迫る。

 建物が環状に並んでいることで住民が平等であると考えられる点から、戦国時代の誓詞が一揆の間では円形に書かれていたことを思い出す。人間の発想はなかなか変わらない――というよりも、論理的に考えていくと自然とひとつの形に収まるのかもしれない。

 表紙を飾る石器の石材がかなりバラエティに富んでいて、狩りの達人は道具を選ばなかったのかと思った。
 一種類の道具は一種類の石材でやっていったほうが狩猟も石器制作も効率的になるのだろうけど、入手できなくなったときのリスクも大きい。
 常に石材が残るように石器製作のパターンを決めている旧石器人のことだから、それくらいは当然考えていただろうな。

 環状ブロック群については著者の考えでは大型動物であるナウマンゾウを狩るために人々が集まったものらしい。他の本では石器を交換するためという説などもあって、本書でも取り上げているが、環状ブロック群がある年代とナウマンゾウが生息していた年代の関係は興味深いところだ。
 石器以外の遺物が豊富にでれば決着がつけられそうなのだが、岩陰遺跡では環状ブロック群をつくるほど面積がないし、難しい。

 内容の関係上で、様々な遺跡の全体を撮った写真が多くて、他の本で知った遺跡でも初めて視覚的に全体をとらえられたものもあった。野川遺跡って本当にゴルフ場に近いなぁ。
 環状ブロック群は今度もたくさん発掘されて、考古学者は接合作業に汗を流すのだろう……三次元スキャナで取り込んで作業を自動化できませんかねぇ(いまはやってそう)。

関連書評
新しい旧石器研究の出発点〜野川遺跡 小田静夫
武蔵野に残る旧石器人の足跡〜砂川遺跡 野口淳
東国大豪族の威勢〜大室古墳群[群馬] 前原豊:群馬つながり

新泉社 遺跡を学ぶシリーズ感想記事一覧

赤城山麓の三万年前のムラ―下触牛伏遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)
赤城山麓の三万年前のムラ―下触牛伏遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)
カテゴリ:歴史 | 11:15 | comments(0) | trackbacks(0)

スポンサーサイト

カテゴリ:- | 11:15 | - | -
コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://sanasen.jugem.jp/trackback/2261
トラックバック