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第7回企画展 飯盛里安先生97年の生涯 中津川市鉱物博物館

 放射化学に大きな業績を残し、アイソトープの和訳である同位体の言葉を初期に使ったと考えられる飯盛里安氏の伝記風冊子。
 本人や周辺人物による日記や講演の内容を貼り合わせて、飯盛氏と彼が生きた時代が浮かび上がる構成になっている。企画展の冊子としては非常に文章量が多くてボリュームたっぷりだった。
 分析化学の込み入った話には手こずったが、戦時中の原子爆弾開発に関連した記述には引き込まれた。もっともウランの収集は副次的な仕事だったようで、軍事的に利用される希土類元素などを集めることがメインになっていた感じだ。
 有名な仁科教授の名前も出てくる。本人の記憶では数キロのウランしか仁科教授に届けていないらしいが、部下であった畑晋氏の記録では300キロとある。
 どちらにしても原爆を造るには足りなかったわけだが。
 ウランを主な組成に含む鉱石ではなく、モナズ石や錫石の選鉱後に残った重砂などから抽出しているのだから、飯盛氏たちの苦労が偲ばれる。苦労が報われてほしかったかと考えると答えに困るけど。
 長島乙吉氏が鉱物探査に活躍していて、飯盛氏には必要不可欠な人材だた様子だ。なんだか困ったときのドラえもんみたいにも感じた。

 戦後は人造宝石を研究していて、まるで錬金術的な仕事をやっている――解説がなんとも趣深い。今では再現する技術が途絶えているようなので、天然宝石よりも高値がつくかもしれない?ソ連もいろいろ人造宝石を造っていたなぁ。
 木村石の名前になっている木村健二郎氏の名前も出てきて、登場人物の名前に由来する鉱物への思い入れが深まった一冊だった。

 飯盛里安氏の人物を回顧した息子さんの寄稿がおもしろかった。ひとりでは外出できないほど神経質なので通勤路の近くの幼稚園に入れられたとか、ゴムは絶対に身につけず、ズボンもベルトを使わずサスペンダーで吊っていたとか、さすがに変わった人柄が伝わってきた。

関連書評
第10会企画展 長島鉱物コレクションと蛭川の鉱物 中津川市鉱物博物館
新鉱物発見物語 松原聰

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