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北の自然を生きた縄文人〜北黄金貝塚 青野友哉

 別にカルデラではない北海道の噴火湾北側に位置する伊達市の北黄金貝塚。縄文時代の海進海退にともなう食生活の変化を明確に追うことができる遺跡の物語。
 ちなみに噴火湾の名前は名付けられたときに北の有珠山と南の駒ヶ岳が噴火していたことにちなむらしい。伊達市と聞いて宮城県だったかと表紙を見直してしまった。たしか宮城県出身者が北海道に入植した関係で、そういう地名になっているんだよな……海進時代には噴火湾は宮城県並の気候になっていたというから、偶然にしてもおもしろい。

 貝塚に関連した死と再生の儀式の解釈が興味深かった。人間だけではなく、貝も丁重に葬られた可能性があったとは(ホタテ貝が6枚入れ子上に置かれていたのが発見されている)……本州の貝塚では斜面に放り出されたタイプの貝塚がみつかっているので、地域による違いはあるかもしれない。縄文前期から中期にかけての北黄金遺跡の住民は推定で25〜30人ということなので、性格的に丁寧な人々が脈々と続いてきたのかなぁ。

 発掘の中心人物として伊達市で高校教師をやっていた峰山巌氏が紹介されている。彼と貝塚のあった土地を所有する坂上家の交流に心温まる。花壇の縁に擦り石を使っている写真をみて現状保存の点から(えー!)と思ったが、湧水地の写真で大量に出てきたので、まぁそういうものかとも。そもそも北海道開拓時代の発掘調査のいろはを知らなかった人に言ってもしょうがない。打ち壊したりせず、よく関心をもって大地に接してきてくれたものだ。血統的にはつながっていなくても、坂上家の姿勢は物の扱いが丁寧だった北黄金の縄文人に通じるかもしれない。

 表紙の写真は発掘調査じゃなくて、現世の貝殻を貝塚がある場所の上に蒔いて表示する復元作業だったよ……土壌のアルカリ性高そう。昔はB貝塚のあるあたりも畑にしていた坂上家はその辺で苦労したのかなぁ。

関連書評
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北の自然を生きた縄文人・北黄金貝塚 (シリーズ「遺跡を学ぶ」097)
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