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凍樹の森 谷甲州

 東北から満州、そして沿海州に至るまで極寒地帯を舞台に描かれる酷烈な冒険小説――なんといっても庄蔵の怪物っぷりは圧巻で未熟さを強盗行為の連発でカバーしてしまう行動をコロンブスの卵に感じてしまうほどだった。
 もはや、あれは人間の姿をした別物であり被害者は猛獣に襲われたようなものだ。偶然人間のDNAをもっているからややこしくなる。そんな一流のモンスター庄蔵だが、彼の視点を通してみる女性の艶かしさといったらなかった。性欲と食欲を獣欲で固めたような滾りに感化されてしまうことで、そう感じるのかもしれない。
 ろくでもない異常者だけど、決して満たされないであろう「飢え」に生い立ちからくる渇望がみえてくるのも確かだった。

 冒頭の秀逸な「マタギバトル」から物語は大きく羽根をひろげて大陸に渡っていく。個人的には東北の話でまとまった方が完結性は高いと思うし、主人公が美川から武藤大尉に転移していくのも不満だった。
 それでもこの展開が描かれたのは日露戦争後の日本が、なぜ破滅的な道を歩んでしまったのか強い疑問があったからではないか。谷甲州氏は「覇者の戦塵」を書きだした理由に「航空宇宙軍史」で資料がたまったことを挙げていたが、今度はさらに覇者の戦塵から派生して大きく時間を遡る凍樹の森が冒険小説として描かれている感じだ。なんたる無限軌道……。

 作品の内容と手持ちの情報から個人的に日露戦争後の日本が狂った理由を考えてみた。けっきょく原因は維新後の富国強兵時代からの「我慢」にあるはずだ。我慢はその終わった先に「見返り」がついてきて当然の概念だ。
 春のために冬を耐え忍ぶように我慢をしていたなら、それまでの我慢による態度は覆されるのが当然。日本人は日露戦争後に傲慢になったのではなく、ただそれまで我慢していただけだったのではないか。我が身の春が来たと信じれば好き勝手はじめてもまったく不思議はないのである。
 本当に育てるべきは、ただその職務を続けるだけで心理的な満足感がえられる「誇り」だったはずで、日本は本質的に糧にならない「我慢」を糧にしはじめた段階で進路が怪しくなっていたのだと思う。
 英国人は「汝その職務を果たせ」というのに対して日本人は「各員一層奮励努力せよ」という。これは意外に大きな違いだ。「一層奮励努力」なんて給料分以上の働きをしたらお釣りを期待してしまうのが人のさが。そして貧しい日本に「お釣り」は払えなかったのだ。

カテゴリ:時代・歴史小説 | 11:27 | comments(0) | trackbacks(0)

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