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読書について他二篇 ショウペンハウエル著・斉藤忍随訳

 実に見事なご高説。ショウペンハウエルの語る言葉は常に論理が明快で、前の文から前進し続けている。それまでの表現全てを参照してくりだされ続ける言葉は確実に読者の心を打つだろう。
 ましてや、文章の調子が正弦波のように心地よく、没頭させられる力をもつのならば――そう感じることはショウペンハウエルが批判するように自分の考えをもたず、著者の考えに支配されることにもなってしまう。それが悔しかった。

 非常にためになり説得力のある文章でつづられた読書について他二篇だが、やはりショウペンハウエルの選民思想的な厳しさには抵抗を覚えることがあった。さすがに自分がどちら側の人間かあえて主張することは目につかなかったけれど、大多数の凡庸にして愚劣な作文家を罵倒することで自分は彼らとは異なる真に優れた文学者だと暗に語る高慢さを感じられずにはいられなかった。
 困惑するのはそれが事実であることだ……一流のなにか訴えることをもっている人間は本質的に穏健ではなく、常に怒っているものなのかもしれない。その強烈な怒りは自分を含めた全方位に向かうから、自らの文章にもまったく妥協を許さず、後世に残されるような作品をものす。
 そういうこともあるのだろう。


 「思索」と「読書について」は簡潔で明瞭だったが「著作と文体」は怒りが暴走しすぎたきらいがあり、当時のドイツ語を憂える内容になっているので分かりにくい部分があった。文法の説明などは専門的にすぎる。
 だが、ともかくヘーゲルが槍玉にあげられていることは印象に残ったし、文章に通じて非難を浴びていたドイツの国民性は興味深かった。日本人にも通じる性質があり、文学が同じような問題を抱えていることに注目せずにはいられない。

 しかし、ショウペンハウエルは明確なまるで「神が定めたもうたドイツ語」が実在したと本気で考えていたのだろうか。目指し維持すべき目標として想定するのはいいが、あの複雑な歴史をもつ国家で厳粛にそれを強制するのは無茶なのではないか。
 著者と共有する背景の少ない私としては、やはり著作そのものが持つ言葉の外側にあるものが気になってしまうのだった。

読書について 他二篇 (岩波文庫)
読書について 他二篇 (岩波文庫)
ショウペンハウエル
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