子産・上 宮城谷昌光

 中華の中心であると同時に、大国の狭間で翻弄される小国の悲哀にさらされ続けた「鄭」に生まれた子産の生涯をつづる歴史作品。まずは子産の父親である子国の視点を中心に春秋戦国時代前期の姿が描かれる。
 戦いが非常に多くて楽しめたが、子産の人格形成に重点が置かれていない気がして違和感もあった。戦乱に明け暮れる時代に育ったことが最大のポイントと言うべきなのかもしれない。
 子産の子供にしては鋭すぎる指摘を畏れず、伸ばすように努めた周囲は立派だと思った。

 鄭は憐れとは言っても雲散霧消してしまうような小国に比べれば、名宰相を何人も輩出したり、東周の初期には大国であったりして、恵まれている方だ。大国の気まぐれどころか、異民族の侵入ひとつで地上から消し飛んでしまう本当の小国――というか邑――にも同情したい。

 楚の荘王が亡くなって次の共王の時代であるが、宋の宰相華元は変わらず元気で随所に名前が出てきていた。彼の名前を構成する文字だけは、周代以前の呪力を残している気がしてしまう……他人の将器を論評しているのは、何の冗談かと。
 将がどれだけ優れていても、勝利が手元から逃げてしまう戦争の“摩擦”を誰よりも知っている男なのだから、もっと注意してほしかった。でも、戦争に関して細心である華元は華元じゃない気もする。

宮城谷昌光作品感想記事一覧

子産(上) (講談社文庫)
子産(上) (講談社文庫)
カテゴリ:時代・歴史小説 | 00:07 | comments(0) | trackbacks(0)

楼蘭王国〜ロプ・ノール湖畔の4千年 赤松明彦

 楼蘭、日本の地図帳だけには位置がしっかり載せられていて、さまよえる湖ロプ・ノールの伝説をともなうこともあって、神秘性に満ちて感じられる古代の通商都市。
「楼蘭王国〜ロプ・ノール湖畔の4千年」は、どうしてもイメージが先行しがちな「楼蘭」について、地に足のついた文献資料や発掘品、言語学的な研究などの多角的な面から、実体を削りだしていく。

 楼蘭がその名前で呼ばれた漢代にしか存在しなかったわけではなく、遺跡でみれば4千年も前から、そこで生活する人々――それもコーカソイド系の形態をもった人々――が居たことを本書は示している。
 個人的には、どうしても中国と繋げて考えがちだったのだが、もっと西の地域との繋がりも意識できるようになった。楼蘭王国の文書が「ガンダーラ語」で書かれていたことの印象も大きい。

 中国と匈奴が共に内乱状態に突入したとき、楼蘭王国(クロライナ)は東西900キロの大きさにまで達したと言うのだから、歴史の泡沫というイメージは払拭せねばなるまい。国土が大きいと言っても、崑崙山脈から北に流れる川岸に造られた都市の点を線で結んだ状態に近いことも、また意識しなければならないが。


 有名なロプ・ノール湖をめぐる論争についても、関係者の実際の論文を平易な文章で訳して収録することで、当時の様子が想像できるように整理されており興味深かった。

関連書評
漢帝国と辺境社会 籾山明

楼蘭王国―ロプ・ノール湖畔の四千年 (中公新書)
楼蘭王国―ロプ・ノール湖畔の四千年 (中公新書)
カテゴリ:歴史 | 00:19 | comments(0) | trackbacks(0)

ゾンビの作法〜もしもゾンビになったら ジョン・オースティン/兼光ダニエル真

 万が一ゾンビの一員になってしまった場合の行動規範や人類の滅ぼし方についてのアドバイスを収録したふざけた本。文体も内容に合わせておふざけ感――ユーモアとは言いたくない――たっぷりである。見出しのひとつに「それはゾンビですか?」という文があって笑った。
 人によっては不謹慎に感じるかもしれない。
 個人的にも「食糧」についての解説など、生理的にきつく感じるページがいくつかあった。二色刷り――もちろん黒以外の一色は赤――のイラストもグロテスクでゾンビへの嫌悪感をかき立てる。

 注目すべきはゾンビの生態について、グラフを用いた詳細なデータを提供していることだ。フィクションには様々なゾンビがいるわけだが、それらを上手く整理して魅力的で具体的なゾンビ像を描きだしている。
 同時に著名なゾンビ作品のネタを文中に散りばめているので、詳しい人はニヤリとすること請け合いと想像される。
 あと、小口に妙な工夫があって、表紙側からみるとZOMBIEの字が、裏表紙側からみると頭の断面図が表れるようになっている。

 真面目にバカバカしい本であったが、自分がゾンビになった時はありがたく活用させていただくことにしよう。願わくば、これはゾンビですか?の相川歩みたいなゾンビになりたいものだが。

ゾンビの作法 もしもゾンビになったら
ゾンビの作法 もしもゾンビになったら
カテゴリ:ハウツー | 00:55 | comments(0) | trackbacks(0)

よみがえる文字と呪術の帝国〜古代殷周王朝の素顔 平勢隆郎

 甲骨文や金文などを駆使して戦国時代に歪められた(と著者が主張する)周以前の王朝の素顔を示す本。
 文字の意味が大きく変わっていること――たとえば「徳」はもともと武威によって示されるものだったらしい――史記の大きな年代矛盾を「立年称元法」の発想で解消することなど、興味深い内容が盛りだくさんだった。
 ただ、論文的な空気が強く、読みやすいとは言いがたい。他の研究者に対して挑戦的な文章が多いのも、研究者でないので困らされた。そんなことを言うと志が低いと叱られるかなぁ。

 第三章は読みやすく巻末の資料も充実しているので、春秋時代以前にどっぷり浸かりたい時にオススメである。
 牧野の戦いに関する記述を抜きだして並べてくれているところは、非常に強い興味をもって読むことができた。宮城谷昌光「王家の風日」に描かれた「牧野の戦い」が、どこから数字を持って来たのかが、いくぶん分かった。

よみがえる文字と呪術の帝国―古代殷周王朝の素顔 (中公新書 (1593))
カテゴリ:歴史 | 12:08 | comments(0) | trackbacks(0)

低炭素社会のデザイン――ゼロ排出は可能か 西岡秀三

 地球温暖化を阻止するため、日本ができることを高密度にまとめて紹介している。
 まず日本の未来のありかたとして都市への集中が進行した「活力社会」と地方への分散が起こった「ゆとり社会」の二通りを想定して、どちらの場合でも低炭素化が可能かを論じる。
 若者ほど活力社会を望むだろうと想定されるのは、ちょっと心外だ。おそらくバブルの記憶に染まった世代が一番活力社会を望む。疲れ切った世代はゆとり社会を好むのではないかなぁ。

 ゆとり社会であっても「コンパクトシティ」の発想で、公共交通機関を駆使してお年寄りが買い物をしやすい環境作りが必要な点は同じだった。富山市で行われているという試みが非常に興味深かった。

 内容が多いのでかえって考えが分散してしまうのだが、通して読んだ印象では、低炭素社会への移行に障害になりそうなのは、電力会社と自動車産業だ。うまく主導する側になれれば、彼らにも旨味は残るのだけど、近視眼的で頑迷な考えに囚われてしまうと政治力があるだけに恐ろしい抵抗勢力になってしまう。
 特に電力会社への不信感は強い。まぁ、中部電力や東京電力も、遅ればせながらではあるがスマートグリッドの実験に参加したりしているわけで、良識派の拡大に期待したい。

低炭素社会のデザイン――ゼロ排出は可能か (岩波新書)
低炭素社会のデザイン――ゼロ排出は可能か (岩波新書)
カテゴリ:雑学 | 10:11 | comments(0) | trackbacks(0)

孟夏の太陽 宮城谷昌光

 晋の貴族から国を興した趙の一族について、重耳につかえた趙衰の息子趙盾を手はじめに戦国時代の始まりまでの代を描いていく。
 多くの宮城谷作品で名脇役をこなしている趙盾が主役になっているのは感慨深いものがある。再び脇役として再会した時に深い愛着をもって彼のことを見ることができるのではないか。

 彼の子孫も激しくはないが、しっかりと輝き続ける人物ばかりで趙氏が繁栄していったのも当然と思われた。嗣子の立て方に紆余曲折があっても、極端な混乱がなく代が続いていっていることは大きい。
 長子への教育が優れているおかげと思われた。

 代わりというわけでもあるまいが、酷い内乱をみせてくれたのが周王室だ。長きにわたった王子朝の乱がどれだけの損害を世界の中心に及ぼしたことか、想像するだけで頭が痛くなってくる。
 軍事に優れ、強い意志をもった人物であることは間違いないのに、彼の行動が周をさらに衰退させる方向にしか影響を及ぼさなかったのは皮肉だ。

 まぁ、趙家もよその批判ばかりをしていられる立場ではなく、知伯を滅ぼした後に晋王室を立て直す方向に働かなかったことは、野心的である。趙盾が受けた仕打ちを思い出せば、心のそこから忠節を尽くせなくなるのもしかたないことではある。

宮城谷昌光作品感想記事一覧

孟夏の太陽 (文春文庫)
孟夏の太陽 (文春文庫)
カテゴリ:時代・歴史小説 | 20:43 | comments(0) | trackbacks(0)

これはゾンビですか?9〜はい、祝(呪)いに来ました 木村心一

 三原かわいいよ三原。まさかのカラー口絵、まさかのナースコスプレ(好い表情いただきました!)のみならず、彼女の秘められた本心が明かされる――も、織戸にはまったく通じない「短編集気味な長編」となった。
 ラストの展開は圧巻である。

 女王の「歯向かった相手は殺さない」流儀はなんか不思議だ。そのくせ、悪魔男爵と再会したときはアメリカ大陸規模を巻き込んで殺そうとしていたし……。
 考えるに、死ぬよりも辛い目に遭わせることで、それを見た人間が叛乱を起こしたくないとより一層思うに仕向けているつもりなのではないか。まぁ、クーデター首謀者最右翼のアリエル先生には通じていませんけど〜。
 腹黒さチェックで最高値扱いされているのに笑った。そんな大先生が大好きです〜。でも、歩が呪いを受けたときに特別な反応がなかった。トモノリですらなかったのに、心は忘れていても体は覚えているなんて、エロい状態になれたサラスは相当のものだ。
 記憶をなくすことで、妙に素直になれてしまっているセラに並ぶ立場を確保している――セラに並んでも微妙かも。

 ユーの状態も、また微妙だが、ゆいいつ歩のことを覚えていてくれたハルナはスペシャルだな。さすがは天才……!歩と同じ立場に追い込まれてしまったら物凄い依存心が芽生えてしまいそう。
 セラは恋に目覚めているし、ユーは夜の王を倒したときの「ずっと一緒にいる」発言の言霊に縛られているはず。風呂でもトイレでも一緒に行動する展開が楽しみだ。


 短編的になっている部分は、漫画やアニメで先に見てしまっていたので、原作なのにオリジナルに感じにくい奇妙な感覚を味わった。まぁ、これゾン自体、小説よりアニメを先に視ているんだけど。
 あと、ひとつだけツッコミたいのだが、サラスは4人のバックダンサーにシンメトリーを求めておきながら、ユーに「独自のロック」を許すなよ!わけわからんわ!!

木村心一作品感想記事一覧

これはゾンビですか?9  はい、祝(呪)いに来ました<ハート> (富士見ファンタジア文庫)
これはゾンビですか?9 はい、祝(呪)いに来ました<ハート> (富士見ファンタジア文庫)
ケーキ入頭に笑った。セラさん、歩と擬似結婚できなくてキレてますね?
カテゴリ:ファンタジー | 11:35 | comments(0) | trackbacks(0)

夏姫春秋・下 宮城谷昌光

 夏姫の不幸が周囲の人々にまで伝播していく下巻。周囲の人間性に問題があるとも、それを増幅する力を夏姫が持っているとも思われる。とりあえず陳公の人間性にはまったく肯定できるところがない……やはりチンコウという名前が悪いのか?なんで家臣まで交えて下劣な行為を繰り返しているんだよ!
 無理矢理弁護しようと思えば、大国に挟まれて汲々としなければならなかったストレスの反動が無軌道な日々を生んだのかもしれない。もっと苦しい立場にあって見事な生き様を示した人間がたくさんいるのだが。
 たとえば夏姫の息子、子南とか。

 荘王の人物は最後まで気宇壮大で、底の知れない度量の大きさに畏怖さえ覚えた。もしかしてニートが転じるとチートになるのか、夏姫に惑わされず正夫人への配慮を貫けている点も凄い。民に神に通じると信じられていた特別な血筋への自負が彼を正気に保ったのかもしれない。
 彼こそまさに「覇者」であった。

 それを決定づけたヒツの戦いはお互いの首脳が望まないまま、どんどん戦いの深みにハマっていく展開が怖い。一部の将の暴走を止めることができない晋軍の組織的欠陥は深刻だ。下のものが実権を握って、上のものが制御できなくなってしまう下克上の風潮が肝心な時に現れて、晋に災厄をもたらしている。


 最後は巫臣が夏姫を救い出して、めでたしめでたし。最後の方の「光」と「風」に満ちあふれた描写がすばらしく、情感を揺さぶる力をもっていた。
 素直に言えば、感動した。

宮城谷昌光作品感想記事一覧

夏姫春秋(下) (講談社文庫)
夏姫春秋(下) (講談社文庫)
カテゴリ:時代・歴史小説 | 21:16 | comments(0) | trackbacks(0)

夏姫春秋・上 宮城谷昌光

 春秋時代に生きた傾国の美女、夏姫を中心に大国に挟まれた小国の悲哀を描く時代小説。鄭も一昔前は大国だったのだから、時の巡りは恐ろしい。もっと恐ろしいのは中原の人々が持つ「同姓は二度栄えない」という思想である。
 この思想があるせいで、現実になっている気がしてしょうがない。再び栄えると思えなければ支援する気も無くなるというもの。光武帝はその意味でも凄かったのかもしれないなぁ。あの時代は皇室がやられただけで、王族としての劉氏は十分に栄えていたか。

 晋と楚の二大国に挟まれた地域が舞台なので必然的に小国の生き残りを懸けた外交が描かれる場面が多かった。中でも鄭と陳の外交は印象的である。ちょっと愚かな公が立てば瞬く間に不幸を被るハメになる。
 散々、楚に叩かれているが、戦い続けていられる宋は流石にまだ国力のある方だ。

 そんな宋も鄭との激突では思わぬ敗北を喫している。
 華元の名前が出てきた瞬間に、起こることを察知して、激しく笑ってしまった。そして、知っている通りのエピソードなのに再び笑ってしまった。実に人間味あふれるエピソードで「戦車の時代」にしかありえないことと言える。

 鄭のためを思えば、ここで鄭が負けて子宋と子家が敗死していた方が良かった気がしてくるから余計に皮肉だ。羊の肉が狂わせたのは世界の歴史そのものなのだ。私も羊肉食べ逃しやスッポン食べ逃しの上に立っている。とんでもない歴史認識の境地に至った気分だった。
 最後に夏姫の兄である子夷は……「管仲」における斉の襄公といい、近親相姦者は優遇される法則でもあるのかなぁ。逸脱したエピソードのおかげで、人格に深みを持たせやすい気はする。
 彼が長生きしていたら夏姫の運命も大きく変わっていたことであろう。惜しい人をつまらない理由で亡くしたものだ。

宮城谷昌光作品感想記事一覧

夏姫春秋(上) (講談社文庫)
夏姫春秋(上) (講談社文庫)
カテゴリ:時代・歴史小説 | 23:39 | comments(0) | trackbacks(0)

三国志 第五巻 宮城谷昌光

 天下分け目の官渡の戦い。二州しか領していない曹操は、果敢にも4州を領する北の巨人、袁紹に挑む。まぁ、袁紹の巨大さは半分見せかけで、内実はお寒いところがあったけど……有能な人材を多数抱えながらうまく扱うことが全くできない袁紹が憐れだった。これでアドバイスをくれる人間がひとりだけなら、その能力が多少劣っていても上手く物事が運んだ気がする。賈クと張シュウが非常に対照的だ。
 船頭に判断力がないと、客を多く乗せただけで、船頭が多いのと同じ結果を招くらしい。
 田豊と沮授という軍事に優れた人間が、片方の派閥に偏っていたことも問題だ。それには必然性があったかもしれないが。

 曹操の視点からみれば、この戦争は大成功。周囲を敵に囲まれた状態を巧みに立ちまわって解消すると袁紹相手に全力を集中できている。ただでさえ国力に劣るのに内線の立場にあるのだから天子を握っていてもきつかったはずだ。むしろそれが目立って目の敵にされかねないわけで。
 厳しい状況で能動的な行動に出て、自分の運命を切り開く。曹操の凄さがいつも以上に伝わってくる巻だった。

 そして、劉備の不思議ちゃんっぷりも……基本的に行動が曖昧模糊としているが、逃げるときだけは異常にハッキリとする。生き残りの才能に掛けては天賦のものを持っていると言っても過言ではない。しかし、蜀を領することになるのは不思議だ。

 曹操が呂布のところから得た人材で、内政向きの方に注目して張遼をスルーしているのは玄人好みの一段上、ぶっちゃけ高二病っぽいとも言える。高順もいるし、呂布がずいぶん優れた人材を持っていたことに驚いた。勤皇の旗が人を引き寄せるのか?もともと徐州が人材豊富な地だったことも影響していそうだ。

宮城谷昌光作品感想記事一覧

三国志〈第5巻〉
カテゴリ:時代・歴史小説 | 00:25 | comments(0) | trackbacks(0)
| 1/2PAGES | >>