月刊ニュートン2014年12月号

 2014年のニュートンもいよいよ最後となったか。
 
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 自宅のお風呂に塩をいれまくって死海を再現しようとするお子さまが現れないかな。腐食が……もはやステンレス製はそんなに多くないのか?

SCIENCE SENSOR
 脾臓がたくさん:秘蔵の脾臓。なんちて。
 下水道の腐食を防ぐ:上水道を飲む人間への影響がいっさい言及されていないことが怖い。
 泳いでいた巨大肉食恐竜:海竜類は恐竜じゃないという話を説明するのが余計にややこしく。
 消えた地表:天体はそれぞれ、それぞれなりにダイナミック。
 高度な水鉄砲:職人芸というか何というか。

火星に2機の探査機があいついで到着
 アメリカはノリノリだな。インドの探査機は実証が目的ならば、日本のセンサーを積んでいってくれませんかね?情けない気にならんでもないけど。

空から古代道路をみつける
 宇宙考古学はずっと前から提唱されていたと思うけどな。畑に道の跡が現れるのはおもしろい。

飛行の科学 最新鋭の航空機
 翼まで座席にすれば、もっと乗員を増やせるんじゃない?そんな疑問も一蹴してくれる。大型化には軽量化が必要なのも、なるほどの理屈だった。揚力と空気抵抗のかねあいで飛行高度も重要だよなぁ。

御嶽山の噴火を検証
 休日ということは悲劇だったが、周囲の山に登っている研究者もいたりして、情報収集の点では若干有利だったのかも。つい7年前には噴火しているわけで、それは登る人全員が意識しておくべきことなのだろうな。

アルプス山脈
 本物のアルプス山脈である。アルプスの名前をつけられたその他の紛らわしい山脈が……それはそうとして、美しいものだ。
 ただ、チロル地方については第一次世界大戦での激戦地だったはずで、のどかな印象だけを抱くには至れない。

天体写真家がとらえた宇宙の絶景
 アマチュアってなんだっけ??もはやアマチュアの定義を考え直すレベルに来ている人々の写真の数々。一枚目の月が、紙に付着している何かにみえて指で擦ってしまった。

干からびてもよみがえる昆虫の秘密
 他の動物にも応用するのはなんか怖いな。こいつが絶滅する可能性は低そう?

すばる(プレアデス星団)
 飽きたような飽きないような昴のすばらしい写真。この被写体で個性を出せるようになれば天体写真家として、ひとつの殻を破れるのかも。
 やっぱり下のちょっと黄色いところがいい。

Newton (ニュートン) 2014年 12月号 [雑誌]
Newton (ニュートン) 2014年 12月号 [雑誌]
カテゴリ:科学全般 | 18:41 | comments(0) | trackbacks(0)

房総の縄文大貝塚〜西広貝塚 忍澤成視

 千葉県、房総半島にかつて存在した西広貝塚。2メートルにも及ぶ異様な厚みをもった貝の層からは大量の遺物が発見された。
 なぜなら、宅地開発に際して貝塚はまるまる消滅させられる運命にあったから、調査の責任者たちが全ての貝たちを持ち出したのだ。そして、水洗い、ふるい掛けである。
 おそろしくマンパワーを使った研究手法はなんだかソ連的なものさえ感じてしまう。おかげで細かい物まで縄文人が貝塚に遺した物が明らかになった。

 中でも印象に残ったのが、装身具に使われるタカラガイやイモガイの研究だ。
 南房総に密集して打ち上げる場所があるという情報は、現代のコレクターにも耳寄りかもしれない。これらの「特産品」を駆使して、房総半島に不足している石材を確保していたらしいことが、まるで泥と水とアスファルトしかなかったメソポタミア文明みたいで面白い。

 著者が装身具に使われるきわめて珍しい貝オオツタノハのことを調査したいがために、これまで生物図鑑で言われていた分布域の情報を書き換えてしまったことが面白かった。
 考古学者でありながら生物学的な業績をあげている!そういえば古生物学者でも比較の必要から現世の生物に入れ込みまくる人がいるなぁ。すべての関わりを読み解いてこその学問だ。

新泉社 遺跡を学ぶシリーズ感想記事一覧

房総の縄文大貝塚・西広貝塚 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)
房総の縄文大貝塚・西広貝塚 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)
カテゴリ:歴史 | 10:42 | comments(0) | trackbacks(0)

北の縄文鉱山〜上岩川遺跡群 吉川耕太郎

 東北の日本海側には石器の加工に適した珪質頁岩が分布する。特に秋田県では本書にある上岩川遺跡群が三段階の最上級、玉髄に近い品質をもった頁岩が産する土地だったという。
 しかし、A級の頁岩は加工が難しく、実用性の面ではかえってB級の頁岩の方が適当なところがある。
 それなのに何故あえて最上級の頁岩が採掘され、加工されていたのか。そんな疑問から縄文時代の物々交換ネットワークが見えてくる。

 お金がない時代の石槍は、破損しても加工して他の石器にできる点からもお金の代わりになっていたのかも。まぁ、お金と考えるには流通量が少なすぎるか。
 シリーズの他の本で出てきた遺跡がたびたび取り上げられるので、有機的につなげて考えることができた。

 珪質頁岩の採掘はまともな道具のない当時はとてつもなく大変だっただろうと思う。ついつい現代の感覚で想像してしまうが、鉄製のスコップなんてものはないわけで、鹿の角などを使ったとしても1m掘り込むのにどれだけ時間の掛かったことか。
 石器の加工も大変だし、縄文人の根気強さを想像して、唸らされるのであった。

 筆者が珪質頁岩を求めて秋田県をさまよう人になっていて、姿を想像するとおもしろい。なんだかお金にならないものを探す山師という感じだ。

新泉社 遺跡を学ぶシリーズ感想記事一覧

北の縄文鉱山・上岩川遺跡群 (シリーズ「遺跡を学ぶ」083)
北の縄文鉱山・上岩川遺跡群 (シリーズ「遺跡を学ぶ」083)
カテゴリ:歴史 | 20:08 | comments(0) | trackbacks(0)

古代東北統治の拠点〜多賀城 進藤秋輝

 仙台平野に存在した有名な多賀城。かつては多賀柵とも呼ばれた律令国家の一大拠点について、これまでの発掘調査で明らかになったことが紹介される。

 多賀城のひとつの転機は「三八戦争」において焼き討ちを受けたことで、それを境に――力強く復興している。蝦夷にとっては藪蛇になって人の流れを呼び込んでしまった感じがする。
 まぁ、単純に多賀城の充実が蝦夷にとって悪いことと言い切れるのかも謎ではある。
 発掘調査は軍事拠点である以上に行政拠点の顔をもっていた多賀城の姿を描き出している。城の南にあった町の見事なことは、ここが先進地域であったような印象すら与える。人材をかき集められた関東の状態はどんなものだったのだろうか。
 東北で都人からいろいろなことを学んで関東に持ち帰る逆流的な現象もあったかもしれないな。
 漆紙文書は思わぬ情報が出てきそうで夢がある。漆器がジャポンと呼ばれるだけのことはあるな。

 ちょっとだけ軍事に触れると三八戦争の後に築かれた櫓の間隔が弓矢の射程を考えてか、80メートルであることが当時の戦いをイメージさせた。築地塀だと瓦屋根の下に隠れられてしまう気がするのだが、問題はなかったのかな。鼠返しみたいになって、登りにくそうではある。
 主にクリの丸太を並べて立てた材木塀が規格の長さが4.6メートルで、地上の高さが3メートルはあったらしいことも覚えておこう。

新泉社 遺跡を学ぶシリーズ感想記事一覧

古代東北統治の拠点・多賀城 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)
古代東北統治の拠点・多賀城 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)
カテゴリ:歴史 | 19:10 | comments(0) | trackbacks(0)

霞ヶ浦の縄文景観〜陸平貝塚 中村哲也

 日本人が初めて近代的な発掘調査をおこなった陸平貝塚の発掘品から霞ヶ浦に面したロケーションに生きていた縄文人たちの生活を追う。

 はじめて発掘をした日本人の二人が生物学者であったことが面白い。おかげで貝塚の貝について熱心に調べている。もちろん土器などについても、真剣に取り組んでおり、気合いの入ったスケッチが残っている。
 明治時代の空気を研究成果を通して感じることができた。もっと昔の縄文時代に通じている遺跡なのだが。

 陸平貝塚は斜面に貝殻などをぶちまけた斜面貝塚と呼ばれるタイプの貝塚らしい。地層累重の法則を使うときに微妙に厄介な部分がありそうだと感じる。
 ちゃんと年代を出しているのをみると、それほど問題ではないのかな。いざとなれば貝殻そのものから炭素の放射性年代を測定すればいいからなぁ。

 縄文人に使った漁業の道具がいろいろ出てきて面白かった。土器を再利用した錘なんてものまである。
 彼らも自然を相手に創意工夫をこらして生きていたのだろう。

新泉社 遺跡を学ぶシリーズ感想記事一覧

霞ヶ浦の縄文景観・陸平貝塚 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)
霞ヶ浦の縄文景観・陸平貝塚 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)
カテゴリ:歴史 | 14:59 | comments(0) | trackbacks(0)

黒潮を渡った黒曜石〜見高段間遺跡 池谷信之

 黒曜石に関するシリーズの本で何度も話題にあがり気になっていた神津島産の黒曜石をメインにした一冊。黒潮の向こうにある神津島から本州へのアクセス拠点になる伊豆半島東部の見高段間遺跡が中心になっているが、著者の分析は関東一円の遺跡に及んでいて、信州産の黒曜石と神津島産の黒曜石がシェアを争ってきた歴史を魅力的に描き出している。

 いくら陸上輸送が大変とはいっても、神津島への渡海は命を失う危険が高いわけで、信州産に押される場合があるのも無理はない。
 むしろ命懸けでも神津島に渡らなければいけなかった事情が縄文人たちにあったことに感銘を受ける。どちらにしろ漁労などで船出はあったはずだから、その延長線上の危険という意識だったのかな。
 和田峠周辺の黒曜石も関東地方の需要に応えて再開発された痕跡があるそうで、そういう圧力に対応するときの流れがとても気になった。土器の分析からは必要としている人々が直接採掘をおこなっていたわけではないことが示唆されているから尚更だ。

 また、本書は著者の研究人生が垣間見える内容になっている。新品では1000万にもなる高価な分析機器を個人で購入してしまった情念の強さには恐れ入る。支える家族も凄いよ、本当に。
 沼津工業高校の先生が二人も出てきて黒曜石や土器の分析をしている。なぜ地球科学者じゃなくて工業高校の人材が……母数の問題だろうなぁ。
 フィッショントラック法や元素比の比較など石器分析の内容は明らかに地球化け学的なのに、いまいち研究者が直接的に貢献できていない様子が寂しかった。鮫島先生は誤鑑定をしちゃっているし。

関連書評
黒耀石の原産地を探る〜鷹山遺跡群 黒耀石体験ミュージアム

新泉社 遺跡を学ぶシリーズ感想記事一覧

黒潮を渡った黒曜石・見高段間遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)
黒潮を渡った黒曜石・見高段間遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)
表紙の湾の写真が黒曜石の貝殻状断口みたいで狙っているなら面白い
カテゴリ:歴史 | 22:47 | comments(0) | trackbacks(0)

氷河期を生き抜いた狩人〜矢出川遺跡 堤隆

 長野県の八ヶ岳周辺に位置する矢出川遺跡から出土した細石刃から、氷河期に信州の高原地帯で生きた人々の生活を描き出す。
 細石刃の使い方についてまとめて説明がなされており、シリーズの他の本で出てきた細石刃へのイメージを強化することもできた。
 気になるのは植刃器に細石刃を取り付けても、先端部は植刃器のままで再現されていることだ。投げ槍などに使うなら先端がしっかり尖っていた方がいいのでは?実際にはやや斜めから刃が当たる場合が多いのかなぁ。植刃器は細石刃以上に貴重なようだから直接標的に当たってしまって壊れる事態も避けたいところだ。
 シベリアでは細石刃がささった動物の骨が出土しているので、現実にはクリアされていたと考えるしかない。

 鉱物マニアとしては長野県の水晶産地が載っている点も地味に見逃せなかった。しかし、水晶は割れ方が黒曜石より予想しにくいので、積極的には使用されなかったらしい。硬度なら黒曜石より高いんだけどなぁ……。
 山梨県の水晶産地でトパーズがでると堅すぎて加工できないので、ダメな水晶扱いで捨てられていたという話を思い出す。
 目的に一致した材質でなければ、数値上の性能が高くても意味はないのである。旧石器時代の人たちもよく考えて行動していたことは疑いない。

 図の多いシリーズではあるが、見開きの2ページをイラストだけに使ったことには驚いた。
 当時の人に冬の採掘や生活は無理だからと言われる一方で、冬に遺跡を発掘してしまう――しかも、とんでもない方法で雪と泥を「洗浄」してしまう――考古学者がいることには見つける言葉がない……。

 ハシバミの実やチョウセンゴヨウの実が食用になることは覚えておきたい。ハシバミの実30個でご飯一杯分の200キロカロリーということも。これだけで毎年必要なカロリーをえるのはさすがに難しそうだ。

新泉社 遺跡を学ぶシリーズ感想記事一覧

氷河期を生き抜いた狩人・矢出川遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)
氷河期を生き抜いた狩人・矢出川遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)
カテゴリ:歴史 | 00:11 | comments(0) | trackbacks(0)

狩猟採集民のコスモロジー〜神子柴遺跡 堤隆

 また長野県か……長野県の遺跡が取り上げられやすい傾向が気になる。ひとつには考古学熱の盛り上がりが戦後にあったことに原因が求められそうだ(他の娯楽が無……ゲフンゲフン)。
 本書に取り上げられた神子柴遺跡も長野県を代表する価値をもつ遺跡であり、出土した石器は国重要文化財の指定を受けている。まさに国の宝である。
 発掘者の中に御子柴さんがいて、ちょっと面白かった。現場では冗談が飛んだだろうなぁ。

 シリーズの他の本では加工に伴って生まれた石の欠片が数万に上って出土することが良くあったけれど、ここではほとんど完成品のみが非常に狭い範囲から見つかっている。
 そのため、遺跡の意味が議論を呼び、いまだに結論がえられていない状態だ。おかげで推理小説のように関心をもって読むことができた。

 私も住居説は優れた石器を残していった理由を説明できないことで分が悪いと感じた。地層が大量の火山灰に埋もれていたわけでもなく、複数の人間が暮らしていたなら、出先で大量死があっても石器は回収されるはずだ。
 しかし、デポ要素が強いとしても、あんな状態で残るものなのだろうか。管理体制はどうなっていたのか。人が見張っていなくても失われることはなかったのか。
 神子柴遺跡に暮らす人々の倫理観にまで想像が広がってしまった。

 それにつけても、謎の炭化層がもっと詳しく調べられず、年代測定もされていない点が非常に残念である。果たして謎が解き明かされる日がくることはあるのか。類似遺跡のさらなる発見と、そこから多くの情報が得られることに期待したい。

 背表紙の色で時代を分かるようにしてくれれば便利だと思っていたけれど、こういう遷移期の遺跡があるから難しいことに気づいた。

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狩猟採集民のコスモロジー・神子柴遺 (シリーズ「遺跡を学ぶ」089)
狩猟採集民のコスモロジー・神子柴遺 (シリーズ「遺跡を学ぶ」089)
カテゴリ:歴史 | 22:19 | comments(0) | trackbacks(0)

最古の農村〜板付遺跡 山崎純男

 福岡市に存在する弥生時代最初期の水田をともなう遺跡、板付遺跡の発掘調査記録。
 水田で作業をしていた人々の足跡も残っていて、取水と排水の構造も再現することができるなど、長く水に浸かって保存されていた利点が存分に現れている。
 出土直後の落ち葉が緑色を残していて、取り上げるとすぐに黒くなってしまったという話に、発掘のロマンを感じた。

 ただし、高地にあった集落は削平を受けてしまっているため、表面に近い構造は残っていない。
 田圃の構造が根本的には現在と変わることがなく、最初から相当完成度の高い状態であったことが興味深い。外部から伝来したことがうかがえる結果である。

 環濠内部には家がなくて害獣から穀物を守る機能が大きかったらしいことが新鮮だった。他の遺跡では陸橋にも幅50センチ、深さ70センチのネズミ返しが付けられていたとのこと。

 発掘に関係する周辺住民との話が気になって、関係者の心理に想いを馳せてしまった。移転先を近所にしたので、そっちまで発掘調査をする必要が出たことや、毎日見学しに来ていた人が病気の妻のために石膏の足形をとってもらったことなど、地面をひっかく行為が必然的にそこに暮らす人々との関わりを生んでいる。
 土器発見の切っ掛けになった畑に入っても許してくれた優しいおばあさんが、移転を迫られることになった人に何か言われたんじゃないかと切ない想像をしてしまう。
 でも、少し長い目でみればやっぱり遺跡は地域の誇りになる。日本最古の水田があった土地で、今の水田が営まれていることは現地の農家に特別な想いを与えているのではないか。

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最古の農村・板付遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)
最古の農村・板付遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)
カテゴリ:歴史 | 10:06 | comments(0) | trackbacks(0)

東西弥生文化の結節点〜朝日遺跡 原田幹

 愛知県の清須市に存在する朝日遺跡は東海地方を代表する大規模な弥生時代の遺跡である。
 環濠を有し、逆茂木がうわっていたことも確認されている。そして、なにより周辺地域の多様な要素をもった発掘品が確認されている。またパレススタイル土器など独自の文化発達がみられる出土品もある。
 まさに東海地方らしい交流のセンターであったことが伺える性質をそなえた遺跡だ。

 やはり軍事施設的要素の強さが興味深い。防御施設の復元図はアレシアの攻囲陣を思い出させた。
 さすがに北集落が南集落を攻める施設を起源としていたと考えるのは無理そうだ。距離が近すぎて工事ができるわけがない。
 そうであったとしても性質の異なる二つの集落の関係は気になった。特に北集落は魅力的な発掘品があるにも関わらず一部しか掘られていないので、今後の発掘を期待したいところだ。

 ところが朝日遺跡には開発の波が押し寄せており、遺跡保存も思うように進まなくて、苦労しているという。シリーズの他の巨大遺跡にくらべると苦労していることが感じられた。
 愛知県が財政難を理由に遺跡保存の手を止めていてよいものなのか。もっと厳しい財政条件の自治体で、遺跡保存に打ち込んでいる例はたくさんあるはずだけどな……。
 なんとか遺跡の規模にふさわしい研究施設と保護がもうけられてほしい。

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南国土佐から問う弥生時代像〜田村遺跡 出原恵三
邪馬台国の候補地〜纒向遺跡 石野博信

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東西弥生文化の結節点・朝日遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」088)
東西弥生文化の結節点・朝日遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」088)
カテゴリ:歴史 | 10:32 | comments(0) | trackbacks(0)
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