妖氛録 中島敦

 傾国の美女、夏姫の物語。
 存在するだけで国家を傾けさせずにはいられない夏姫の外観描写から始まって、彼女が歴史に与えた影響が描かれる。そこに夏姫本人の意志があったわけではない。だからこそ恐ろしい。
 夏姫は自分の毒で中らないようになったけれど、それ以上にはなれなかった様子である。彼女に人生を狂わせられれば人の内部に巣食う魔物の存在を信じられるかもしれない。なぜだか夏姫が王族であることを忘れそうになる。
 息子の夏徴舒がかなり可哀想である。当然の怒りを形にしたら車裂き……待ち伏せするなら大臣の二人も仕留めてほしかった。

 楚の荘王や共王など話が短いわりに登場人物が多い。戦いも大会戦である邲の戦いと鄢陵の戦いが名前だけ出てくるなど春秋時代の導入に意外と向いているのではないか。

関連書評
夏姫春秋・上 宮城谷昌光

青空文庫
中島敦 妖氛録
カテゴリ:時代・歴史小説 | 23:00 | comments(0) | trackbacks(0)

バサラ戦記1〜三日天下 河丸裕次郎

 甲斐で出会った同い年の真田幸村と伊達政宗が意気投合して、織田信長見物に出かけ、本能寺の変に巻き込まれる歴史小説。
 シミュレーションというには破天荒すぎる展開であるが、織田信澄に活躍の機会を与えており、非常におもしろい配役になっていた。

 幸村の呼吸を飲み込んだ発言がよい。

 織田信孝の襲撃を撃退したあとの流れなど強引に思えたのだけど――取り込んだ信孝兵の口に戸は立てられないので――じゃあ、実際にどうなるのか?と聞かれるとよく分からないのも確かである。
 史実の十一日天下は本当の三日天下になってしまい、本当を嘘にする物語が、嘘を本当にしていた。

バサラ戦記1 三日天下 (歴史群像新書)
バサラ戦記1 三日天下 (歴史群像新書)
カテゴリ:時代・歴史小説 | 12:49 | comments(0) | trackbacks(0)

狐憑 中島敦

 スキュティアに偶然生まれた創作家、シャクのお話。衝撃的な結末が待ちかまえていて、シャク本人も物語の中に消えたごとしだ。しかし、彼のことを語り継いでくれる人間はいそうにない。
 優れた話を語り続けなければ殺されてしまう立場は千夜一夜物語のシェヘラザードを連想させる。締め切りに追い立てられる作家としての共感がシャクに与えられている感じがした。

 聴衆のニーズに応えて刺激的な話に走ったあげくに創作能力を失ってしまうところも教訓的だった。
 思わぬ方法で反撃してくれることを期待したのになぁ……。

 敵対部族が右手を切り取っていって爪がついたままの手袋にするとの記述があった。左手に手袋はいらないのかな?弓を引くときの手袋とも想像したが、弦があたって痛いのは左手の方なので逆に思われる。謎だ。

関連書評
ヒストリエ1−2巻 岩明均:スキタイ人の風俗が出てくる歴史漫画

青空文庫
中島敦 狐憑
カテゴリ:時代・歴史小説 | 18:59 | comments(0) | trackbacks(0)

名人伝 中島敦

 名人は一般人の役に立たない。達人までに留めておいてくれた方がたぶんありがたい。
 いや、名声だけでもおつりが来ていたか?紀昌家の近隣は泥棒が寄りつかなくなっているので、それだけでもありがたい。渡り鳥の排除については田単の策略を封じる程度の威力はありそうだ。

 弓で天下一を目指すことになった紀昌が名人になれたわけは可処分時間をたくさん持っていたからに尽きる。機織り機の特訓など一般人の家庭でやったら働けと家の外に放り出されるに決まっている。
 嫌がられつつも2年(吊した蚤の3年をいれれば5年)もの特訓が可能だったのは紀昌の家が豊かだからだ、ちょっと空しい話をすると。
 甘蠅老師の教えを9年も受けに言ったときは妻も諦めきっていたかもしれない。

 最初の師匠、飛燕との遭遇戦は最後の一矢を茨の枝で撃ったと勘違いして覚えていた(以前に読んだのはずいぶん昔のことだ)。実際には手に持った枝で棘の傾斜面を利用して紀昌の鋭い鏃をいなしたっぽい。傾斜装甲の発想ではないか。
「叩き落とした」の表現からはそうではない印象も受けるけれど、標的の近くだからといって達人の弓矢が、そんなに減速しているかなぁ。

青空文庫
中島敦 名人伝
カテゴリ:時代・歴史小説 | 12:03 | comments(0) | trackbacks(0)

牛人 中島敦

 さすがはウシ!メタンガスのゲップで地球温暖化を進ませ、世界を滅ぼそうとしている動物に似ているだけの事はある。
 まぁ、叔孫豹には文字通り「身から出た錆」だったかと。状況は異なるが血縁者と言えども生殺与奪の権を与えれば大変なことになる点で「リア王」に通じる内容だった。中国が舞台だし宦官趙高の逸話を連想したほうがいいのかなぁ。
 人間関係のバランスを取ることの大切さを教えてくれる、たぶん。

 叔孫豹が死亡を前にしたときの描写は、エジプトを征服したイスラム帝国の武将アムルが臨終の際に述べた感想「天が大地に迫り、私はその間に横たわり、針の目から息をしているようだ」によく似ていた。
 海外の歴史もあつかう著者だから、実際に参考にしたのかもしれない。

 叔孫豹に引き取られた後の牛人の母親が気になる。

青空文庫
中島敦 牛人

関連書評
アレクサンドリア E・M・フォースター 中野康司・訳:上にあげたアムルの言葉が載っている。
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セトナ皇子(仮題) 中島敦

 すべてを知っているつもりだったセトナ皇子が、この世の根源的な存在理由を疑問に思ってしまい、深い悩みに囚われてしまう話。劇的な解決もないままに消えていってしまうところが中島敦流。

 この世に存在している理由はないけど、この世が存在しなければ、それを疑問に思うこともできない。だから、疑問に思うことができる「だけ」である。
 そんな答えじゃいけないのかな?

 すべてには何か理由が必要だという前提がセトナ皇子を苦しめている。進化のすべてが適者生存だと思いこむのと同じで、危険な兆候である。
 「意味のある情報」だけを頭の中にため込みすぎたあげくに、意味のない生き方をしてしまった。そう考えると、遠い人物に感じられていたセトナ皇子にも学ぶべき事がある。

 古代エジプトの舞台装置が「雰囲気」を出していた。文字禍といい、目を付ける時代と地域にセンスが満ちている。

青空文庫
中島敦 セトナ皇子(仮題)
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真田疾風録〜覇道の関ヶ原 伊藤浩士

 真田一族の談合が関ヶ原の戦いを変える王道歴史シミュレーション。
 一冊ですっぱり完結している。そのために、ややご都合主義的な展開に感じられる場面が目に付いた。井伊直政は史実でも死んだから仕方がないが、榊原康政まで戦死させるとは……。
 ちょっと真田信幸にとって良い方向に偶然が重なりすぎていた。

 まぁ、関ヶ原の合戦に秀忠軍団や立花宗茂が参戦していたら?という歴史IFからの短期間での合戦の連続はよかった。
 けっきょく東北や九州での関ヶ原の戦いが短時間で停止されることは変わらないんだな。
 いきなり政権の首班におさまった真田親子に内心で不満をもつ人物は多そうだ。でも、徳川家と真田信幸の結びつきが大きな支えになりそう。
 豊臣家とは信繁(作中では幸村表記だったが)がつなぎになるし、信幸の政権運営しだいでは、それなりに安定するかなぁ。
 徳川にも豊臣にも政争によるチャンスがないとも言えなくはない終わり方だった。信幸が淀殿対策で寿命を縮めないことを願う。
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呉越春秋〜湖底の城7 宮城谷昌光 講談社

 主人公が伍子胥から范蠡に代替わり。越を舞台にした物語が繰り広げられていく。
 范蠡の成長については、けっこう端折られた印象はあるけれど、伍子胥編で見られたエピソードが複雑に絡み合っていて面白い。
 複雑な伏線回収に挑戦している。

 戦争はスイリの戦いひとつだけで、有名な自刎戦術はもちろん描かれているのだが、越王勾践はそこにひと味付け加えている。
 一度勝利しても国力で越国が不利であることは変わっていない点も注目である。スイリの勝利の勢いを借りて国力差が逆転するまで攻めつづけることは、やっぱり無理だった。二回も奇襲作戦に失敗して貴重な精鋭を失っているからなぁ。
 越兵は失敗したら生きて帰れないと絶望的な戦い方をするところも恐ろしい。まるで太平洋戦争の日本人みたいである。彼らに国家からの保証はあったのだろうか……。

 常に退路を考えて行動している范蠡の姿勢に彼らしさを感じた。
 女性との縁もなかなか多いが、喜ぶよりも悩まされてしまう性格である。西施から重要情報が零れてくる展開もあるのかなぁ。
 范蠡が主人公になった以上は、伍子胥が死んでも話は続きそうだ。

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呉越春秋 湖底の城 第七巻
呉越春秋 湖底の城 第七巻
カテゴリ:時代・歴史小説 | 15:53 | comments(0) | trackbacks(0)

呉越春秋〜湖底の城6 宮城谷昌光 講談社

 復讐鬼死者に鞭打ち賢者モード

 日呉れて道遠しの名言がなかった……多少は似たようなことを言っていたけれど、物足りない。平王の死体にむち打つシーンも現在の楚王への怒りをおさめるシーンも淡々としていたけれど、それがかえって狂気を感じさせた。
 さすがに楚の民に対する演出と考えるのは好意的にすぎるな。

 特に楚がひどいが、呉でも王以外の王族が大きな権力を握ることの問題が指摘されている。間接的に戦国四君を批判しているなぁ――そもそも戦国四君が出てくる話でも社会体制の後進性を示すものだと批判していた作者なので当然である。
 まんまと唆された夫がいは不甲斐ないの一言だ。
 問題の後継者、夫差は終るいの息子で、闔閭の孫になっている。うーむ。完全に世代が違うので伍子胥とそりが合わないのも仕方がない。やっぱり引退するべきだったよ……。

 小国の君主が意地をみせるエピソードが多くて感動的だった。簡単に踏みつぶされたりしてしまうけれど、一寸の虫にも五分の魂である。
 あと、昭王の逃走ルートを探るシーンがかなり独特。機械の導入の点では楚は先進的あつかいなのか。

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呉越春秋 湖底の城 第六巻
呉越春秋 湖底の城 第六巻
カテゴリ:時代・歴史小説 | 22:14 | comments(0) | trackbacks(0)

湖底の城〜呉越春秋5巻 宮城谷昌光

 ついに5分の2まで到達した復讐劇。作中の伍子胥は年数で換算しているが、読者は巻数で換算する。つまり完結は12.5巻になるのだろうか?
 そっちも孫武先生の――主に資料不足の――力で短縮してくれることを期待せざるをえない。
 伍子胥に孫武をくわえた呉王闔閭のいきおいは、まさに翼をえた虎であり、向かうところ敵なしに見える。しかし、そんな最中でも用心をおこたらない孫武には呉が立たされている状況の厳しさがよく見えている。
 国は民を安んじることはできても、将軍は心を休める暇もないのが孫子の兵法である。呉での活動期間が分からない事情を、孫武の過労死に求めそうな雰囲気だ。孫武ならそのリスクまで読んで、自分の兵法の後継者を用意しておくけどな!
 ……考え込みすぎて、もうわけがわからない。季節が巡って、軍旅をもよおす時機が決まっていることが、慎重居士に辛うじて行動を許している気がしてくる。

 とりあえず呉は楚に従属する小国を脱落させはじめた。徐は独自に勢力を伸ばして大きくなっていた時期もあっただけに、この扱いは残念だ。城に対する水攻めの雰囲気が曹操がやったものを連想させた。
 壁を乗り越える瞬間を攻撃する奇策は通用したのかなぁ。孫武は蟻みたいに壁に取り付くのは余程のことがない限り許さない将軍だから、もりあがっている徐の君臣には悪いけれど、疑わしい。

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湖底の城 呉越春秋 第五巻
湖底の城 呉越春秋 第五巻
カテゴリ:時代・歴史小説 | 13:12 | comments(0) | trackbacks(0)
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