世界の民族・国家興亡・歴史地図年表 ジョン・ヘイウッド

 日本語版監修者 蔵持不三也、翻訳 松平俊久・松田俊介 他。
 タイトルからワクワクさせてくれる歴史地図。年表が間に挟まれていて歴史地図で気になった部分の理解を助けてくれる。表示される地域はそれぞれに色分けされていて、南北アメリカ・ヨーロッパ・アフリカ・中東・アジア・インド・東南アジアとオーストロネシアに分かれている。
 アメリカは南北共通の色で足りてしまっている。現代になっても北アメリカ大陸は国家の数が少ないから重要度はともかくニュースの数では落ち着いたところがある。
 古代は中央および南アメリカの独壇場だった。特に紀元前2000年代に突如出現している都市「カラル」が興味深く、インターネットで検索までしてしまった。

 まぁ、北アメリカの動きが控えめだからこそ「アレウト族」が、ずぅっっと歴史地図に生き残り続けていたわけだ。左上で最初に目に入る存在なので、表示が消えてしまったときは本当に悲しかった。
 同じ名前で存在している期間ならオーストラリア先住民とタスマニア人がアレウト族の上を行っていた。
 パプア人もきわめて早い段階で農耕を覚えたのに、そのまま農耕で安定してしまっていて、もどかしい思いがした。社会が段階的に発展していくイメージが正しいものとは限らない。そうパプア人の動きは語っている気もする。

 帝国は紫色系統の色で表示されるのだが、名前は帝国でもちょくちょく青色の王国や都市化社会あつかいの国があって切なかった。
 現代になってからは北方領土がソ連・ロシアの色に塗られているせいで、毎回毎回地図の右下で、実行支配を優先する原著者の見解だと断っている。やっぱりうるさい人がいるんだな。そういえば対馬が朝鮮半島勢力と同じ色で塗られているような?
 ……歴史地図を描くのっていろいろな意味で大変だなぁ。

関連書評
世界の都市地図500年史 ジェレミー・ブラック
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世界の民族・国家興亡歴史地図年表
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古墳時代の南九州の雄〜西都原古墳群 東憲章

 シリーズ「遺跡を学ぶ」121
 畿内や群馬に負けない古墳群が南九州にも存在した。「原(ばる)」と呼ばれる台地上に複数の首長が古墳を造営し続けたことで生まれた古墳群。その中でも最大規模の西都原古墳群が紹介されている。
 大正12年に発掘調査がおこなわれていて研究の歴史も長いのだが、古墳を「自然のままに」放置していた時代もあったりして、調査されているのは1割程度らしい。
 陵墓参考地にされている二つの大型古墳についても、限定的ながら調査が行われていることが興味深い。全国の陵墓について、同じレベルの調査が行えれば……と夢見てしまった。

 内容はそれぞれの古墳を小群ごとに紹介していって無理に結論を導き出したりはしなかった。最大規模の古墳が時代ごとに南九州の地域を移動していることの意味は気になる。著者のいうように持ち回りや対北九州での優遇があったのか。
 また、この地に特徴的な地下式横穴墓には王クラスの被葬者もいたとのことで、ピラミッドから王家の谷への埋葬に変化したエジプトの葬礼を少しだけ連想した。

 古墳時代を感じさせるすぐれた景観を維持しつつ発掘調査をつづけていってほしいものだ。

関連書評
古市古墳群の解明へ〜盾塚・鞍塚・珠金塚古墳 田中晋作
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古墳時代の南九州の雄 西都原古墳群 (シリーズ「遺跡を学ぶ」121)
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邪馬台国時代のクニの都〜吉野ヶ里遺跡 七田忠昭

 シリーズ遺跡を学ぶ115
 ついに出てきた吉野ヶ里遺跡。何が近畿説だ、吉野ヶ里遺跡が邪馬台国の都だ、オラアアアアア!と訴える。タイトルでは一歩、後退しているが、魏史倭人伝に条件が一致するのは吉野ヶ里遺跡だけだと訴えている。あと、はじめて名前が記載された日本人である帥升もご近所の出身であった可能性があると地名から指摘している。

 邪馬台国の位置問題はひとまずおいても、吉野ヶ里遺跡が大規模で重要な遺跡であることは間違いない。
 その発掘成果はかなりのもので、復元も規模が大きすぎて模型にみえてしまうほどだ。それでいて、まだ調査されていない部分もあったりするから将来が楽しみである。

 著者の父親が吉野ヶ里遺跡の調査と保存に熱心な人で、著者がそれを受け継ぐ形で調査に関わるようになったという経緯も印象的だった。いまの姿をみれば、保存が決まって本当に良かったと感じる。
 そんな著者がいまやっている仕事は佐賀城本丸歴史館の館長らしく、担当する時代が違う。

関連書評
最古の農村〜板付遺跡 山崎純男:近くの重要な農村遺跡

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石鍋が語る中世〜ホゲット石鍋製作遺跡 松尾秀昭

 シリーズ「遺跡を学ぶ」122
 長崎県の西彼杵(にしそのぎ)半島に分布する滑石から石鍋を製作した跡地の遺跡群。その中で発掘調査がおこなわれた三カ所のうちの一カ所であるホゲット石鍋製作遺跡の調査記録から中世における石鍋の流通や用途に話が広がっていく。
 鍋は炉で、釜は竈で使用する物という分類は覚えておきたい。ただし、石鍋の場合は形態をかえて竈に対応したらしき後も石鍋と呼ばれ続けている。

 生産地の近くでは一般市民も利用できる道具であったものが、遠方では高級品になってしまう事情は、瀬戸や美濃の土器でも同じだ。中世における輸送コストの高さがうかがえる。ある記録では四個で牛が買える価格だったそうだ。
 用途の一つとして中世のデザートである「芋粥」を作るのに使われていたらしい。スイーツな道具だったんだ。

 北は青森から南は沖縄まで発見されているにも関わらず、石鍋の製作や流通に関わった人々については謎が多いそうで、文献資料に名前が出てこない以上は今後の研究進展も厳しいかもしれない。
 陶器みたいに銘を入れてくれれば……と思うのだが、滑石という柔らかい素材だから仮に銘が入っていても磨耗してしまうかな。

関連書評
古代祭祀とシルクロードの終着地〜沖ノ島 弓場紀知:石製品として舟形を思い出したので
中世瀬戸内の港町〜草戸千軒町遺跡 鈴木康之:大量の石鍋がみつかり、本書で名前が上がっている。

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石鍋が語る中世 ホゲット石鍋製作遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」122)
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享徳の乱〜中世東国の「三十年戦争」 峰岸純夫

 応仁の乱より13年早く戦国時代に突入した東国。それどころか、東国における享徳の乱が、応仁の乱の遠因であったと著者は主張する。
 関東の支配権をかけておこなわれた足利家の「兄弟対決」、その顛末とは。

 享徳の乱で足利成氏が朝敵となりながらも戦い抜くことができた前例から、後北条氏は豊臣秀吉への反抗を試みたのかもしれないと思った。足利義政が動員できた守護大名が、関東周辺の越後や駿河の大名だけであったことが京都側の限界になっている。
 それでも足利義政が手紙攻勢によって足利成氏の打倒を積極的に目指していた事実は興味深かった。足利義昭が参考にしていそうな印象すら受ける。東北の大名に呼びかけて敵の包囲を狙っているし。

 苦しい状況で戦い抜いた足利成氏も確かに只者ではない。その能力で京都と助け合っていれば……と思わないでもないが、都(京都)と鄙(鎌倉)が争うことは足利氏の遺伝子レベルに刻み込まれた宿命であったらしい。

関連書評
東国武将たちの戦国史 西股総生
図説 太田道灌〜江戸東京を切り開いた悲劇の名将 黒田基樹

享徳の乱 中世東国の「三十年戦争」 (講談社選書メチエ)
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北条早雲〜新しい時代の扉を押し開けた人 池上裕子

 日本史リブレット人042
 元の名前を伊勢盛時。京都から東国にやってきて、自分の生きる世界を切り開いた人物の人生を追う。下克上の人物と思われていたのは、由緒ある伊勢家出身なのに、氏綱がわざわざ北条を名乗ったことで、かえって馬の骨感が出てしまったのかな。徳川に名乗りを変えられた松平家の立場というものも?

 本人が領土を拡張するのに平行して、援軍としての働きも多く、非常に活発な出兵を行っている。
 それが可能だったのは蓄財の心がけと戦での惜しみない出費、検地による収入の強化、備中から連れてきた「根本被官」たちの常備軍に近い状態などのおかげだろうか。
 年貢の金納が農民の負担になったので一部物納にしたことは実状にあわせた後退だったけれど、外部の問題がなく、そのまま家が続けば北条氏による紙幣の発行に踏み切れたかもしれないと夢見てしまった。

 北条早雲のやったことは先進的であるが、それは先進的にならざるを得ない事情があったから、という視点からも見るとおもしろい。
 足利家が「源氏の血を活かして」関東で内輪もめを繰り返してくれたことも北条早雲には援護射撃になっていた。

関連書評
戦国の軍隊〜現代軍事学から見た戦国大名の軍勢 西股総生
戦国大名の兵粮事情 久保健一郎 吉川弘文館
古城の風景5〜北条の城 宮城谷昌光

北条早雲: 新しい時代の扉を押し開けた人 (日本史リブレット人)
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ニセモノ図鑑〜贋造と模倣からみた文化史 西谷大

 国立歴史民族博物館の「大ニセモノ博覧会―贋造と模倣の文化史―」展示内容をふまえて編まれた本。大量のニセモノが紹介されていて、たまに本物もある。
 研究のために作られたレプリカはニセモノといえばニセモノだが意味あいが全く違ってくる。

 絵画史の某教授による贋作絵画の鑑定結果が何でも鑑定団的でおもしろい。もちろん本の内容からニセモノ率が非常に高いのだが。
 かなり酷くけなされている贋作もあって、所有者の度量に感動した。先祖の鑑定眼も批判されていることになるから、人によっては怒ってしまう内容だった。
 ちなみにコーナーでは名前を隠していても巻末にはしっかり出ている。
 落款の間違いなどは、贋作作者が「せめてもの抵抗・なけなしの良心」でわざと間違えた形にした可能性があると思う。
 単純にバカにしていいものではないかもしれない。

 有名な「人魚の剥製」については作り方から紹介されていた。今でも作れる技術をもった人がいることも凄い。猿は有害動物駆除されたものが使われたと断りが入っているところは現代の出版物らしかった。

 研究者にとっては困りものの「ニセモノ」だが、それすらも研究対象にしていく研究者のたくましさを感じてしまう内容だった。

ニセモノ図鑑: 贋作と模倣からみた日本の文化史 (視点で変わるオモシロさ!)
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シリーズ「実像に迫る」012〜戦国京都の大路小路 河内将芳

 各種の史料から戦国時代の京都の知られざる姿が描かれる。惣構に囲まれ、街路がいくつもの門で区切られた窮屈な京都が浮かび上がってきた。道にどんどん避難民の建物が進出してきたのは火事のときに酷いことになりそうだ。さすがに最初の規格通りの幅は維持できないと思うけれど維持できていたら現在の京都は便利だったかもしれない。

 「通り」という呼び名の誕生もあって、戦国時代の京都から現在の京都へのつながりが、いろいろ紹介されていた。応仁の乱が「前の戦争」と呼ばれる都市伝説の背景には、京都の姿が激変した転記だったことがありそうだ。
 上京の大半が洛外にあることも覚えておきたい。

 通りごとの特色説明もおもしろく現在の通りを覚えるためにも役立ちそうだ。
 信長よりも秀吉のほうが遙かに大きな改変を京都に対して加えていることは覚えておきたい。与えられた時間の関係もあるかもしれないが、やっぱり秀吉の方が革命的なんじゃないかな。というよりも信長が守旧的?

関連書評
古代の都を復元する〜復元するシリーズ2 岡田茂弘・監修
信長と織田軍団 新・歴史群像シリーズ11

戦国京都の大路小路 (シリーズ・実像に迫る12)
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和食文化ブックレット5〜和食の歴史 原田信男

 日本の和食文化はいかにして生まれたのか。天武天皇による肉食の禁止令がはじまりとなって、穀物と魚の特異な食文化が育まれてきたことが分かるブックレット。影響力としては聖武天皇が大きいと思っていたが、歴代の天皇に繰り返し言われてきた結果なのだろう。

 表紙になっている絵が笑ってしまうくらい山盛りなのだが、これにも歴史的な意味があると本文を読めば分かる。山盛りぶりで関心を引いて理解した後に表紙をみればちょっとした感慨がわいてくる仕掛けなのかもしれない。
 各地の神社に伝わっていた神饌料理が、明治時代の神社の統一によって餅などを供える形式にされて、現代にそれぞれ独自の文化を残していないのは残念である(諏訪神社など例外はあるらしい)。

 著者によれば和食は本膳料理でほぼ成立し、江戸時代には庶民の口に入るにまでなった。八百善のものすごい価格設定には度肝を抜かれた。
 明治時代に入ってからは肉食が解禁されて、洋食というライバルも生まれるのであるが、戦中がいちばん苦しい時代だったようだ。
 朝食は1円、昼食は2円50銭、夕食は5円までと価格で統制されていたのには驚き呆れた。まさに食の暗黒時代だ。それでいて上流階級の抜け道はあったんだろうな。さらには人間の尿から塩を取る方法も研究されていたと言う……。
 いまこうして自由に食べ物を口にできることは本当にありがたい。

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和食の歴史 (和食文化ブックレット5)
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近世商人と市場 原直史 日本史リブレット88

 近世の農業にとって重要な肥料であった干鰯。その取引を行っていた江戸と大坂の市場について江戸時代の変遷を追うリブレット。
 干鰯は換金作物に使われることが多い関係で、当初は江戸から大坂に出荷されて流通していたものが、やがては江戸周辺でも利用されるように変化してくる。
 あるいは藩が問屋を通さず直接領内に買い付けようと動き出す。そのことから生まれる綱引きが興味深い。権力相手には一丸となって行動した方が有利であるが、市場内部でもいろいろな対立があってまとめるのも簡単ではない。
 それでも利益という共通目標があるから、商人たちは何とか動きつづけるのであった。

 江戸の市場では同じ店が仕入れた干鰯を、同じ店が買う場合でも市場を通して買い付けの手続きが必要になっている事情がおもしろかった。
 現代では非効率と言われそうであるが、それが同時に中間を廃するために行われているのである。大坂と江戸、東浦賀、どの市場が生産者や消費者にとっては良い市場だったのかな?
 答えはどんな市場でも複数ある方が交渉余地が残って良い市場ということに落ち着きそうだ。

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近世商人と市場 (日本史リブレット)
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