江戸大名のお引っ越し〜居城受け渡しの作法 白峰旬

「12回引っ越した家もあった!」と表紙についている。譜代大名の方が転封が多くて驚くほど多くの「引っ越し」を経験している。これは幕末における譜代大名の幕府に対する忠誠心に影響はあったのだろうか?
 その分析はなかったけれど、転封が幕府にとって非常に重要な意味をもったセレモニーであったことは詳しく分析されていた。大名たちの城はあくまでも幕府の持ち物であって、そこを押さえている大名は幕府から一時的に城を預かっているに過ぎない。
 巨大な外様大名に対しては名目的な部分もあるが、譜代大名に対しては厳しく貫かれている原理だった。外様大名も改易時の城受け取りからは逃れられない。

 徹底的な事前打ち合わせによって、引っ越しそのものは短期間で完了していることも興味深い。現代の打ち合わせも無駄に長ければ、実行もやたらと時間が掛かる官僚の仕事と比較してみたくなってしまった。
 先格と呼ばれる先例主義が強かったことも間違いないが。

 巻末近くにある大名の「居城」と「居所」一覧も、とても興味深い。実高は幕府にかなり把握されているんだな。前田家の実質160万石は流石だった。利家が秀吉没後に家康と睨み合っただけのことはある。

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江戸大名のお引っ越し (新人物ブックス)
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藤原良房〜天皇制を安定に導いた摂関政治 今正秀

 日本史リブレット015
 王天門の変など政変があいつぐ時代に権力を握っていたため、邪悪な人物と目されることの多かったらしい「最初の摂政」藤原良房の時代とその前後の流れがまとまっている。
 彼が謀略家でなかったのなら、政変の数々をよく切り抜けたものだと感心する。弟の良相まで関わっているのだから、ちょっと対応を間違えれば自分にまで延焼していたはず。

 摂政が必要とされたのは、藤原氏が外戚として権力を握ったため、持統天皇たちのように皇族の皇后がリリーフピッチャーの女性天皇になることができなかったからだとする説が興味深かった。
 それで位階をあげているので身から出た錆とは違うかもしれないが天皇と藤原氏の関係が古代日本の政治に強い影響を与えていたことが伺えた。

 戦前の政治バイアスが掛かった評価は藤原良房についても当てにならないようだ。

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さかのぼり日本史9平安〜藤原氏はなぜ権力を持ち続けたのか 朧谷寿
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藤原良房―天皇制を安定に導いた摂関政治 (日本史リブレット人)
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伊能忠敬〜日本をはじめて測った愚直の人 星埜由尚

 日本史リブレット人057
 日本で10番目に業績を知られている人物というデータもある伊能忠敬の伝記的リブレット。戦前に創られた人物像から伊能忠敬を解放して、実像に迫っている。
 私財を投じて日本の測量に挑んだのは立派なことで、伊能家が45億円の資産を蓄えていたと言っても、なかなか真似できることではない。現代の日本の富豪をみていると、特にそう思う(札幌の寄付しまくっている不動産業の人みたいな例もあるけれど)。

 地球の大きさを割り出すために緯度の一度を正確に測定することが当初の目的で、そのための方便に列強が迫る蝦夷地の測量を持ち出したことがすべての始まりだったが、それが分かってからも測量を続けたのだから日本に必要な事業であると強く意識していたに違いない。
 体制の整った後半に測量された西日本の方が緊急性の高かった蝦夷よりも詳細に測量される結果になったのは皮肉だ。まぁ、蝦夷については伊能忠敬の後継者たちも測量しているので問題ない?
 最後の江戸の測量によって、それまでの測量データを正確につなぎ合わせることが可能になったのも面白かった。

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近世商人と市場 原直史 日本史リブレット88

伊能忠敬―日本をはじめて測った愚直の人 (日本史リブレット人)
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織田信長〜近代の胎動 藤田達生 日本史リブレット人045

 織田信長を天下を見据えた改革者と評価する一方で、家臣の心理を読み損ね謀反でやられたと下げもするリブレット。織田信長本人よりも足利義昭や明智光秀、羽柴秀吉などのライバルや周辺人物にスポットライトが当たっている時間が長い。
 原本が博物館の所蔵になった光秀の書状から本能寺の変の真相に迫ってもいる。

 光秀を準一門衆として重用していたと思ったら、純一門衆に近国を与えるためにお払い箱にする流れだったかもしれないとは、信長も嫌な権力者だ。
 荒木村重の反乱からあまり学んでいない?
 秀吉も自分に子供がいないことが強みだったのを忘れて、秀頼への相続に執着して豊臣家を滅ぼすし、絶対的な権力を握ってしまえば有能な部下に頼もしさよりも疎ましさを覚えるものなんだろうな……。

 だが、信長は中央集権を志向した。部下の助けが必要な強者が共存する日本を志向せず、部下が邪魔になる日本を。ある意味で本能寺の変への方向性は天下布武を決めたときに定まったのかもしれない。
 もちろん、地方分権ルートなら織田家が命脈を保った保証もない(滅んでいないが)。

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安土〜信長の城と城下町 滋賀県教育委員会・編著
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織田信長: 近代の胎動 (日本史リブレット人 45)
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飢餓と戦争の戦国を行く 藤木久志 読みなおす日本史

 衝撃的な緊急避難。過去の日本には飢饉の際には、きちんと養う代わりに人を奴隷として購入していいという超法規的な風習が存在していた!
 そんな衝撃的な導入からはじまるサバイバルの時代を描いた一冊。

 著者のあつめた資料によって作られた年表から、毎年日本のどこかで飢饉が起こっていて社会情勢が非常に不安定だった様子がうかがえる。
 それが応仁の乱につながっていくという、トップダウンじゃなくて、ボトムアップからの政治と戦乱の視点を提供している。
 とかく非難されがちな足利義政の御所造営が、難民対策の雇用創出策だった可能性が指摘されていて、目から鱗が落ちた。
 飢饉で食べていけなくなった地方の農民も都市に出れば食べていける可能性がわずかにあったらしい。しかし、もちろん都市が養える限界があるし、飢饉が広域すぎれば自然と共倒れになる。

 飢饉が理由で戦乱が広がり、そのせいで耕作放棄地が増える負のスパイラルについては、よく脱出できたものだとひたすら感心するよりなかった。
 正直に言って、武田氏や上杉氏の略奪旅行は、その場しのぎすぎる。領土が増えても、そのため領土のどこかが飢饉になる確率があがって、さらなる戦争が必要になったりする地獄もありえる。
 名将と呼ばれる戦国大名でも、いつも必ず優れた戦略をもって軍事を行えていたと考えてはいけないのかもしれない。

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戦国大名と分国法 清水克行

飢餓と戦争の戦国を行く (読みなおす日本史)
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一揆の世界と法 久留島典子 日本史リブレット81

 江戸時代の百姓による一揆ではなく、中世のさまざまな階層の人々によって結ばれた一揆について主に取り扱ったリブレット。

 タイトルにもある「一揆の法」が、下手な大名の分国法(結城氏や伊達氏のことだーーっ!)よりも整っているように見えた。それは一揆が目的を明確にしていて、一揆契状の内容もそこに集中できているからだと思われる。
 それでも、これらの法を作った人々の賢さは疑いようがない。

 伊賀や甲賀の惣国一揆は著者の注目度が高く、中小領主による領域支配のための一揆という新鮮な知識を知ることができた。
 いくら日本中が分裂していた時代でも、ある程度のスケールをもっていないと、百姓の逃散や犯罪者の移動に対応できない。問題への対応を迫られた国人たちの苦労が想像できた。
 まぁ、著者も指摘しているように戦国時代の日本全体で同じ方法が採られていたと受け取ってしまうのも早計であり、一揆の意外な一面が印象的だけに気をつけなければいけないところもあった。

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戦国大名と分国法 清水克行
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一揆の世界と法 (日本史リブレット)
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カテゴリ:日本史 | 20:45 | comments(0) | trackbacks(0)

戦国時代の天皇 末柄豊 日本史リブレット82

 非常に苦労していた戦国時代の天皇と朝廷の姿を描き出したリブレット。さすがに天皇本人が困窮していたわけではないが、非常にお金のかかる儀式がいつまで経っても行えない問題に直面している。
 合理主義にまみれた目から見れば、略式にしまくれば良さそうなものだけれど、宗教的なこだわりが入っているので前例を踏襲したがるのも無理もない。彼らは中世の人たちなのだ。

 戦国時代の天皇が三代つづけて死ぬまで在位していたことは古代以来であり、次に死ぬまで三代つづけて在位したのは明治、大正、昭和ということに驚いた。
 そして、現代も四代続けてにはならないわけである。
 本人にとっては大変でも、戦国時代の天皇が長命でつとめあげたことは、朝廷の維持に貢献したであろう。単純に夭折する天皇が続出するだけでも財政的に立ち行かなくなってしまうし、長生きしたことで個人的な崇敬を受けることができたはず。
 それにしても、朝廷の土地でも押領してしまう武士たちは遠慮がない。歯止めが利かなくなった自力救済の世界はおそろしい。

 最後に出てきた壬生家と大宮家の朝廷内における争いも印象的だった。戦国大名からみれば小さな争いでも、本人たちは生き残ろうと必死だったに違いない。
 大宮氏が天皇に命じられて疎開させた文書の管理が悪く、盗難にあったことは非常に残念だ……。

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縄文の女性シャーマン カリンバ遺跡 木村英明・上屋眞一

 遺跡を学ぶ128
 北海道の石狩低地帯に位置する恵庭市から発掘された漆細工の装飾品が副葬された縄文時代の墓の数々。意外と色鮮やかな縄文時代の服飾が蘇ってくる。

 人骨は歯が少し残っている程度でも、漆はしっかり残っている。恐ろしく耐環境性の高い物質だ。樹液を元にする意味では琥珀に近いだけのことはある?漆紙文書が残っている理由もよく分かった。
 復元イラストになった漆の装飾品をつけた女性のファッションは、現代人がみてもオシャレに感じそうなものだった(自分はオシャレに感じるが、自分のセンスがあまり信用できない)。
 復元図通りに白い布地に赤でポイントをとっているなら、神社の巫女装束にまで通じるものがある。呪術的な意味合いがある鮫の歯が組み込まれているところは流石に縄文時代だった。

 合同葬が行われた謎には、病気による一家全滅的なものを想像していた。しかし、それでは整然と葬送をおこなうことは難しく住居ごと焼き落とすなどしそうだ。
 著者の殉葬説には説得力を感じた。ポリネシアの戦士が殉死者と一緒に葬られている例もあるし、縄文時代段階で殉葬がおこなわれていても個人的に違和感はない。
 個人的には「人身御供」の可能性も考えた。気象環境が厳しく、そのため社会の主導権が男性から女性にうつった可能性があると著者は述べているが、厳しさに対応するための名誉ある生け贄にされてしまった可能性はありえないのかなぁ。まだまだ縄文社会の知識が足りない。

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古代地方木簡のパイオニア 伊場遺跡 鈴木敏則 遺跡を学ぶ127

 地方でありながら100点を超える木簡が出土した静岡県浜松市の伊場遺跡。砂丘上に位置した長い歴史をもつ遺跡から、律令国家の地方支配体制が見えてくる。

 陶枕が寝るときの頭にする枕じゃなくて、筆記時の腕おきであることを初めて知った。昔の人は固い枕で寝ていたから陶器製もありえると、固い頭で思いこんでいた。
 木簡を通じて古代の人名をいくつか具体的に知ることができて、彼らの実在と個性を意識した。特に稲の字が図形的な「稲万呂」は強烈な印象を与えてくれる。
 筆者の予想通りに「稲万呂」が商人だったなら、さすがに商人は古代からブランド化の意識が高かったのかもしれない。

 律令制による負担をかけられた農民の姿も、克明な税の記録から見えてきた。農民の織機では規格の幅をもった布を作ることができず、遺跡から出土した織機で特別に製造されていたらしいことは興味深かった。
 実際は不明ながら、中世ヨーロッパにおける水車小屋と小作農民の関係を想像してしまう。

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漢帝国と辺境社会 籾山明
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古代地方木簡のパイオニア 伊場遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」127)
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日本海側最大級の縄文貝塚 小竹貝塚 町田賢一 遺跡を学ぶ129

 表紙写真のアクセサリーは「旅の人(富山県のニュアンスでは外来の人)」の持ち物と推定されている。遺跡の代表として不適当にも思えたけれど、小竹貝塚の日本海を通じて日本の南北から人が集まっている様子を表現するには適当なのかもしれない。

 94%がヤマトシジミの日本海側最大級の縄文貝塚からは91体以上もの人骨が発掘されている。出土品と人骨の研究をあわせることで縄文人の生活がみえてきた。
 中には長生きした人もいたものの、どうやらかなり厳しい生活を送っていたらしい。その一方で、アクセサリーには凝っていたりして、直感的には分かりにくいところがある。
 食物の貯蔵が十分にできないことと、アクセサリーに装飾にとどまらない呪術的な意味があったことを考えれば、理解はできる。

 注目される交易も食料の大量輸送ができない以上は、物質的な豊かさを短期的にもたらす力はなくて、文化的な意味が強かった感じがした。
 貝殻をはじめとして、いろいろな遺物の割合を円グラフで表示していて、興味深かった。在来の大型哺乳類でもニホンカモシカは1%にも入ってこない。やっぱり今とは行動が異なっている。

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松島湾の縄文カレンダー〜里浜貝塚 会田容弘
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日本海側最大級の縄文貝塚 小竹貝塚 (シリーズ「遺跡を学ぶ」129)
日本海側最大級の縄文貝塚 小竹貝塚 (シリーズ「遺跡を学ぶ」129)
カテゴリ:日本史 | 19:08 | comments(0) | trackbacks(0)
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